BLUESNIK

Column - One Step Beyond


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August

21 Sat

 Blogを開設しました。以後、こちらで更新します。

19 Thu - 20 Fri

 休みます。

18 Wed

 道路設計は誰がやっても同じようになる、と考えている人がいるかもしれない。そんなことはない。道路設計は極めて個人の技量に左右される、オーダーメイドの設計作品なのだ。
 道路設計に関して考えることは多い。都市計画、周辺路線状況、地形、予算、景観...。このため、設計は通常三段階で行われる。一つめは概略設計。ここでは道路の骨格を決定する。どこからどこへ道路を作るのが最善なのか、周辺路線の状況や需要を考慮して、大きな視野から検討が行われる。二つめは予備設計。ここで道路のアウトラインが決まる。いくつかの可能性の中からどういう角度で、高さで、橋をわたりトンネルを掘り、という細目が決められる。これに基づき土地が買収される。三つめは詳細設計。ここでは実際に道路を施工する場合の組み立て図が描かれる。もちろん個々の部材には機能を確保しつつ、最小限の材料を用いることが要求される。
 こうした作業を見てみると、いかにも色んな判断が入りそうだ、ということが理解できると思う。そう、色んな判断が入る。このため、冒頭に書いたとおり道路設計は個人によって随分違った結果になるのだ。

17 Tue

 ある地域に道路が通る。その影響について考える方法と、負の影響を軽減するための提案をする、というプロポーザルがあり、取り組んでいる。道路が通ったらどうなるか予測して、それに備えて対策すればよいのだが 、検討も何もしていないうちから、こんなことやります、と宣言するのは難しい。ましてやその宣言が素晴らしい、と認められるのはもっと難しい。
 困っていてもしようがないので、いろいろ考えた。結果として、その地域が本来めざしたい姿と、道路ができたことによって生じるズレを検討し、対策を練る、という構成にすることにした。そうなると考えることは、本来めざしたい姿は何か、ということと、ズレにはどんなことが予想されるか、ということ。めざしたい姿については、最近の国土交通省の白書を参考に設定。予測されるズレについては、現況を再現した交通量予測をもとに検討する、という流れにした。
 こうやって結論だけ書くととても簡単に見えるが、凡人なのでこれでも一日悩んだ。産みの苦しみだ。

16 Mon

 社会学という学問がある。社会の仕組みについて考察を行い、何らかの一般的な形を見出しているのだと思うが、実態はよくわからない。
 今日読んだ本では、社会学からの公共工事批判構造に関する考察が掲載されていた。曰く、本来国民のために動く公共工事が、組織立つことによって自己目的化し、国民の意識から乖離することが批判されるという。また別の視点からは、支配層と組織層と技術層の意識の違いがあり、日本では支配層の政治的な貧弱さが技術層へのしわ寄せを招いているとのことだった。
 話としては何となくわかるのだが、もう少しすっきりしない。社会学というのがどこまで系統だったものなのかわからないから、国民意識のモデル化や支配層−組織層−技術層といった区分の是非が判断できないのだ。
 よくわからないものは胡散臭く感じてしまうのが人の常。話はわかりやすくはあったから、うまく使えるかどうか、批判する前に少し勉強してみたいと思う。

15 Sun

 転職が当たり前の時代になった。不景気もあって辞める人が身の回りに多いが、タイミングを失い、正社員になっていないケースが多い。正社員じゃなくても生き方としては問題ないのだが、社会システムは残念ながらそうなっていない。日本ではアルバイトでいるか正社員でいるかというのは依然大きな問題になっている。
 その割に、中途採用のルールは変わっていない。欧米では途中参加のルールが整備されているが、日本ではリストラを進めつつ終身雇用前提の社員確保の仕組みが成立しているから性質が悪いわけだ。人生というゲームでアウトのルールだけ厳しくなり、アウトのあとの復帰のルールが無い状況なわけだ。ではこれで得しているのは誰か。「ルールを決める人」「アウトのルール適用外の人物」「ルール適用前にゲームを去った人」「ゲームに参加していない人」世の中複雑だ。

13 Fri - 14 Sat

 休みます。

12 Thu

 学生時代の女性の後輩が無事出産したとのこと。心からおめでとうと言いたい。何より本人も、生まれてきた新しい命も無事で何よりだった、と思う。
 彼女は高校時代のクラブの後輩で、同じ楽器を担当していた。当時は気の合う仲間と一緒にいることが多かったが、彼女はそのうちの一人だ。後輩だが、堅苦しい上下関係は全く無く、気の置けない友人といえる。
 僕は未だ子供がいない。何しろ結婚していないから当たり前なのだが、知り合いとはいえ全くの他人でこのように嬉しい気持ちになれるということは、自分のときはどんな気分になるのだろうか。想像ができない。

11 Wed

 公共工事を批判する掲示板を覗いたときのこと。そこでは「設計と施工を分離して、癒着を無くすべきだ」「高速道路は規格を考えずに作っている」などの声があった。どちらも間違いで、事実を確認せずにそうじゃないか、という感覚だけで議論をしているにすぎない。
 設計と施工の分離は、日本では戦後ずっとそういう仕組みになっている。施工するゼネコンが設計まで担うと、自分達に有利な材料や施工方法を選んで設計をしてしまうから、というのがその理由だ。
 高速道路の規格については、道路構造令というものがあってそこである区間ごとに1種3級や2種1級という具合決められている。1種は街と街を連絡する、いわゆる高速道路。首都高速や名古屋高速のような街中の高速道路は2種道路だ。さらに街と街を連絡する一般道路は3種、街中の街路は4種に区分される。それらはみな1級、2級のような階級があり、想定される交通量で区分されているのだ。
 「世間知」「専門知」という言葉があるが、素人の議論を見るとそれがまざまざと実感できる。いわばジャズファンじゃない人からジャズって○○でしょ?と決め付けで話されたときの違和感と同じだ。

9 Mon

 この試験だが、年々情報開示が進んでいる。当初は試験の合否しか通知しなかったのだが、数年前から配点を通知するようになった。しばらくしたら合否基準を通知するようになった。今年はついに受験者に、選択問題の解答と得点を通知することになるらしい。
 TOEICなどは全受験者に得点を開示しているから、他の試験に比べたら数段遅れているのだが、何しろこれまであまりにも情報開示しない団体だっただけに、ありがたい。今年落ちたとしても(昨日受験したばかりなのだが)、複数の試験科目のどれが不足していたかが通知されるため、対策がたてやすくなる。これまでは何故落ちたかわからなかったのだから、随分な違いだ。

8 Sun

 試験終了。伊達に何度も落ちていないだけあって、そこそこ記述問題を書き込む能力だけはついたようだ。特に時間が無い、ということもなく筆記はできた。
 問題は選択問題だ。土木全般に関する20問の5択があり、そのうちの15問を選択し、6割正解している必要がある。15×60%=9ということで、9問正解していることが必要なのだが、なかなか自信が無い。6〜7問は正解だと思うのだが、そこからが難しい。これが間違っていたら不合格なわけで、実はこの対策が一番大事なのではないかという気がしてきた。
 気になる発表は12月。運良く合格していたとして、2月に口述試験が待っている。一年がかりの試験なのだ。

4 Wed - 7 Sat

 休みます。

3 Tue

 少し前にチャレンジしたプロポーザルに落ちた。なかなか難しいものだ。一般的に土木設計の世界で行われるプロポーザルは、ものにもよるが、一週間程度の間に、過去の書類を閲覧し、現地状況を把握し、検討の考え方や手法をまとめ、積算をする、という流れになっている。一週間しかないから、作業はかなり急ぐことになる。場所が遠方だったらなおさらだ。現地状況を見て問題点をさぐり、短期間で適切な解決策を提案する必要がある。求められる課題は自分の知っていることだけではない。色々な人に判断を仰ぎ、内容を吟味してもらうことになる。
 最後に費用を出す。これが悩みどころ。これだけ悩んでも、結局安値で落札されてしまうことがままある。今回のケースがそうだったのかどうかはわからないが、一つの可能性として考えられるだろう。
 技術で負けるなら諦めがつくが、値段で負けるのは技術屋の端くれとしてなかなか納得がいかないものだ。誰が自分の歯医者を値段で決めるだろうか?

2 Mon

 31日に見た地震マップ。名古屋市全域のものも入っていた。名古屋市の土地は西が低く、東が高くなっている。西はかつて湿地帯で、東海道もここは渡し舟だった。
 東部を見てみる。僕の住んでいる中心部よりも、揺れが少ない予想となっている。西部はどうか。確実に液状化する、という予測になっている。僕が名古屋市西部に住んでいてこんな地図を渡されたとしたら、引越しを考えてしまうかもしれない。最近の技術では、個々の建物は耐震補強もされているし、杭を深く打てば液状化しても大丈夫、ということは知っているが、建っている建物がすべて耐震補強されているとは限らない。まして地中深くまで杭を打ってある建物は珍しいだろう。そう考えると恐ろしい。
 それにしても、表面的には立派な大都会に見えても、一つ皮をはぐと足元は江戸時代のままなんだということが、この地図を見るとよくわかる。

1 Sun

 NHKで日本道路公団の特集を放送していた。借金が30兆円になった原因を探る、というもの。原因として、需要予測、有料道路、隠れ実施計画の存在をあげていた。そもそも借金ばかりを強調して収入を示さないのはどうか、と思ったが、それはともかく、需要予測については専門とする立場として、放送内容に疑問が出た。
 番組では交通需要の実態が、当初予測値の半分になっていることをあげていた。需要予測が悪い、というわけだ。これに疑問がある。予測には必ず前提がある。周囲の人口、接続するネットワーク、利用料金など。これらがまったく当初の見込みどおりだったのか。特にネットワークについては大きい。道路網は、少しだけ開通しても意味がない。かなりまとまった範囲で点と点が結ばれないと、見込みどおりの交通量が生じないものだ。番組はその辺をしっかり示さずに、単に「予測が外れた」と言っていた。これでは需要予測手法が信頼に足りないものだ、という誤解を招きかねない。
 おそらく何も知らない視聴者は、交通需要予測がいいかげんなものだ、という印象を持ったことだろう。怖い話だ。

July

31 Sat

 広報誌の中に、地震マップが入っていた。東海地震が起きたとき、住んでいる地域でどれくらい揺れるか、どれくらい液状化が生じる危険があるか、というマップだ。
 これによると、僕の住んでいる名古屋市昭和区周辺は、震度6弱、となるらしい。立っていることが難しいほどの揺れ。耐震性の低いコンクリビルは、壁や柱が壊れるものが多い、となっている。このビルは安普請だからちょっと心配だ。
 液状化を見てみると、僕の住んでいるところは「低い」になっているが、安心はできない。すぐ隣の区画が「高い」になっている。大まかな地盤調査を基にしたマップだろうから、僕が住んでいるところが「高い」であっても何らおかしくはない。
 どうやら僕の住んでいるエリアは、他の地域に比べて「高い」が分布している割合が多いようだ。砂地なのだろうか。以前湿地だった、という鶴舞公園付近を見てみると、これは液状化危険度は「低い」となっている。なかなか単純ではないようだ。

30 Fri

 休みます。

29 Thu

 最近信号を見ると、光る部分がランプではなく、液晶のようになっていることに気づいた人も多いだろう。あれは発光ダイオード。いわゆるLEDによる信号である。所属していた企業を訴えたことで有名になったサンタバーバラ大学の中村教授が開発した青色LEDのおかげで信号機のLED化が可能になった。
 LEDの利点は、維持費の安さ、必要とされる光量に対しての電気代の安さ、視認性が良く、西日でも乱反射しない、などが挙げられる。実際視認性の向上は驚くばかりで、これで少しでも事故が減るのであれば言うことがない。
 難点もあり、導入コストが高いこと。しかしこれは大量生産による一般管理費の圧縮によって、徐々に解消されることだろう。
 それにしても、自分の開発した商品がそこらの街角に存在するというのはどんな気分なんだろう。

28 Wed

 休みます。

27 Tue

 料理はまったくできないのだが、さすがに茹でるだけならできる。というわけで、ざる蕎麦を作ってみた。ざる蕎麦といえばそばつゆ。普段は通常のそばつゆで食べるのだが、今回は以前から気になっていたごまだれで食べてみた。店でもあまり食べたことがなかったのだが、これがなかなかうまい。まあしゃぶしゃぶにもごまだれはあるし、そのままでも美味いのだから失敗することは無いとは思っていたが、予想以上だった。まあ、ごまだれの美味さにごまかされた、という気がしないでもない。
 そういえば、昔飯田で、温かい吸い物につけて食べるざる蕎麦を食べたことがあったが、これはおいしかった。
 蕎麦については、本当の通は素材のみの味を好むのだという。そばにわさびだけで食べる、というもの。僕が買った蕎麦は安物だったし、そもそも料理の腕がダメなので、僕はとてもそういう料理は出来ないが、普通の店でなら一度食してみたいと思う。

26 Mon

 そんな新曲のコード進行は、単純化すると
A-1)F7|D7|Gm7 C7|F7
A-2)F7|D7|G7|Gm7
B)F7|F7|Bb7|Bm7-5
A-3)F7|D7|Gm7 C7|F7
となることがわかった。この場合、Aの一つめのF7と、Bの一つ目のF7は、同じコードだが役割が異なる。前者はトニックであり、後者はドミナントになるのだ。渡された譜面はこれらに余分な装飾コードとかついていたし、譜面にAABAなどと構成が書いてなかったのでわからなかった、というわけだ。

25 Sun

 バンドで新曲を練習した。その中に自分のアドリブパートがあった。もともと大したアドリブはできないのだが、初見ということで今日はいつも以上にてこずった。
 なぜてこずったのか。曲の構成がわからなかったからだ。曲の構成とは、全体のキーがFで、その中で途中で転調してBbになってまたFに戻って...とかいうハーモニー上の流れのことを指す。これを知らないと、キーがFのときの「Gm7」とキーがBbのときの「Gm7」では役割が違いますから、間違うわけだ。
 もちろん慣れた人はそういうのは感覚的に演奏できるわけだが、あいにく自分はそんな器用なことはできない。
 そんなわけで、練習後に改めて曲の構成を解釈してみた。やはり、今日のアドリブ解釈は間違っていた。アドリブがしょぼいのはそれだけじゃないだろうと言われたらグウの音もでないが、少なくとも次はもう少しマシなアドリブになるだろう。

24 Sat

 フルートの練習では、Rubankという教則本を使っている。初心者向けで、しかもサックス用のものだ。まあ基礎練習はどれも同じなので、十分に役立っている。ページの始めの方はロングトーンから始まる。徐々に細かい四分音符、八分音符、十六分音符、三連譜と複雑になる。音の伸ばしについても、スラー、タイ、スタッカートなどと複雑になっていく。音の跳躍も徐々に大きくなっていき、音の強弱も次第につける、という具合。ページの最後の方では16分音符が連続するかなり複雑な音形になる、という寸法だ。
 といっても初心者向け。サックスでは、この教則本のレベルだと、テクニック的には何ら苦にならない。しかし、フルートは間違いなく初心者なので、まだまだ。50ページ弱の薄い本だが、今の実力では半分くらいまでしか吹けない。気長に練習するしかないだろう。
 で、効果は出ているのだろうか。何とも不安だ。

21 Wed - 23 Fri

 休みます。

20 Tue

 とある試験だが、午後の部はもう少し厳しくて、4時間で800字詰め原稿用紙を10枚+五択問題を20問ほど解く必要がある。これは事前の準備が無理で、ぶっつけ本番で頭も動かしながら論文を書く必要がある。とりあえず昨日と同じ計算をしてみると、四時間=240分=14400秒で、文字数は800×10=8000文字。14000÷8000=1.8秒/字ということで、なんと一文字書くのに1.8秒もの時間がある!午前中の倍。余裕ではないか!
 というのはもちろん早計で、五択問題を解く時間が必要だ。五択問題を解く時間はどれくらいだろう。一問を一分で解いて、見直しを入れるとして30分くらいと考えられる。ということは、先ほどの四時間は三時間半に減少する。
 計算しなおしてみる。三時間半=210分=12600秒。12600÷8000=1.575秒/字 となった。うーん、きつい。昨日の練習の結果、原稿を右から左に写すだけで一秒に一文字かかることがわかった。考えながら書く午後、1.5秒に一文字のペースで書きつづけるというと一体どうなるのだろう。

19 Mon

 とある試験を受験する。その試験は筆記試験であり、午前午後と実施される。午前は800字詰め原稿用紙を6枚使用する。これを3時間で仕上げる。午後は800字詰め原稿用紙8枚と、選択問題を4時間で仕上げる。午前はある程度問題が予測できるので、事前に文章を固めておくのがセオリーだ。今日はこれを実際に鉛筆で書いてみることにした。何しろ書かないと覚えられないからだ。
 で、下書きを見ながらだと、書くだけで80分かかることがわかった。80分=4800秒。原稿用紙をほぼ使いきるので、文字数は800×6=4800。一秒に一文字書いている計算になる。何も考えず右から左に写す作業だけでこれだけ時間がかかるわけだ。実際の試験は下書きを見るわけにはいかず、考えながら書くからもっと時間が必要になる。3時間あるから理屈の上では倍以上かかっても大丈夫なわけだが、不安は残る。

18 Sun

 NHKでトラック運転手の特集を行っていた。三ヶ月で3万kmを走行し、時間に追われる過酷な職業だ。単にものを運ぶのではなく、時間どおりに運ぶことが求められている。トヨタ自動車に見られるJust in Time方式の材料調達手法が運送業界をハードなものにしているわけだ。この状況はかなり進んで、事故だろうと自然災害だろうと遅延は許されない、という状態が普通になっているようだ。荷主が安い値段で時間のリスクを運送業者にかぶせている、という状態なのだろう。
 この番組を見て、道路整備について改めて考えさせられた。渋滞が発生すると彼らにとっては時間を守れないという死活問題になる。道路が整備されることにより彼らの時間との戦いも少しは楽になるのではないか。しかしながら反面、便利になったら荷主からの要求も過酷なものになるのだろう...。
 僕は社会資本整備の計画面に関わり、世の中を便利にするためだと確信して日々の仕事をしているわけだが、果たしてこれはすべての人にとって幸せなことなのだろうか。

16 Thu - 17 Sat

 休みます。

15 Thu

 少し前まで、名古屋から見て高山は遠い観光地だった。僕が学生の頃は確かにそうだった。高速道路が無く、名古屋からは一般道かJRを利用するしか到達手段が無い。当時車を持っていない貧乏学生の僕には、行くことなどほとんどありえない場所だったのだ。結局学生時代には一度遊びに行ったきりだった。
 その後仕事で何度も訪れるようになったのだが、相変わらずそこは遠い場所だった。しかし高速道路の開通によって、その距離感は確実に近いものへと変化したといえる。
 今日、昼に岐阜県南西部で仕事を済ませたあと、高速道路に乗って二時間で高山に着いた。かつてなら四時間はかかるところで、到着したら夕方だったのだ。高山での仕事を済ませ、夜の七時には名古屋に到着した。見事に日帰り圏になったというわけだ。仕事を行う上では効率化が進んだわけであり望ましいことだが、かつてのような旅をするような高揚感は少なくなってしまった。これを好まない人もいるだろう。しかし僕は楽観的に考えている。今後は秘密めいた感覚は薄れるだろうが、これまで知らなかった魅力がより引き出されるようになるに違いない。

14 Wed

 土木業界では、かつての入札談合に対する反省から、プロポーザルによる入札が増加している。発注者が設計条件を出し、その条件に見合った提案を期日以内に行う、というものだ。設計条件はわかりにくいものが多く、それを補完するために資料閲覧という行為が実施される。他業者が実施した資料を見ることになるわけで、意味不明の「設計条件」が過去の資料を閲覧することにより解読されることが少なくない。
 今日もとある資料の閲覧を行った。僕はやや専門外のためサポート的な役回りだったのだが、設計条件に書かれた「○○に関する検討を行う」の「○○」の該当個所をまず探すこと、そしてあえて「検討」されるだけの理由を探すこと、そしてベストな検討の内容を探ること。こうした専門知識をフルに生かした作業が資料閲覧の場では実施されているわけだ。
 こうして過去の経緯を把握し、突貫作業で提案資料が作成される。かなり骨の折れる作業だが、業務を獲得できたときの喜びは大きい。

13 Tue

 梅雨の末期は豪雨が多いと言われるが、今年も例外ではなかった。むしろ多かったのではないか、と思うくらいだ。新幹線は二度止まり、つい先週は名古屋の隣の一宮市が東海豪雨以上の大雨にさらされた。そして今日は新潟と福島で集中豪雨だという。
 こうなると誰もが想像するのが地球温暖化に伴う日本の熱帯化だ。都心に住んでいることもあるが、ここ数年の夏の暑さは尋常ではない。冷房がもたらす弊害だといわれているが、全般的な気候の変化というのも無視できないだろう。
 ではどうすれば良いのか。残念ながら人類は気候を変えるすべを有していない。「災害は必ず起きる」という前提で、「減災」に取り組むしかない、というのが土木工学の教えることろだ。減災の手段はもちろんハード的な堤防整備やらもあるが、ソフト分野、教育や避難訓練、危機が生じたときのための地図整備なども無視することができない。最近ではむしろこうしたソフト分野の対策が重要視されていると言っても過言ではない。

12 Mon

 ジャズのアルバムの中で大きな位置を占めるのがライブ盤というもの。他のジャンルでも存在はするが、本当にライブ盤を楽しむのであればジャズに限ると思う。幾多の巨人達がVillage Vanguardで残したアルバム、マイルスがカーネギーホールで残したアルバム。年老いたジャズマンがヨーロッパの見知らぬ土地で残したアルバム。いずれも素晴らしい。
 なぜジャズのライブ盤は素晴らしいのだろう。理由は述べるまでもなくアドリブにある。他のジャンルと異なり、その場その場で臨機応変にバンド全体がインタープレイしながらアドリブするのはジャズならでは。その格好の舞台がライブであり、それをそのまま封印したのがライブ盤というわけだ。極端な話、ジャズのアルバムはすべてライブ盤、少なくとも聴衆有りで行っても良いのではないか、とさえ思う。
 もっとも中には巧妙に編集されているものも存在する。「At the Blackhawk / Miles Davis」などはその典型で、先日発売された完全版を聴いたところ、「Oleo」でマイルスと入れ替わりにここぞ、というところで出てくるハンク・モブレイのフレーズが実は三コーラスめだった、ということがあった。

11 Sun

 参議院選挙の開票が進んでいる。自民党が負けそうな情勢だ。今回の選挙はイラク問題や年金、構造改革などが審判されたと思うが、とりわけ地方で自民党が票を落としているのはなんといっても構造改革がもたらした影響だろう。
 構造改革とは要するに市場原理の徹底のことだ。官による需要を押さえ、剥き出しの競争社会を作っていく、というもの。何となく腐敗を無くすイメージがあるから、当時は絶賛された。しかし内実はどうだったか。実際の日本は官による需要が少なくない割合を占めるし、競争社会が進めば寡占化が進行し、負け組みが増える、というのは経済学を勉強すれば誰にでもわかる。結果として基礎体力が弱く官需要に支えられてきた地方経済は疲弊し、自民党への票の伸びの悪さ、という形で今回現れた。こうなることは三年前にわかっていたが、三年経って体で感じてようやく反対の表明が出てきた、ということなのだろう。
 ではどうすれば良いのか。マクロ経済を政府の人たちが少しでも勉強すれば答えは自ずから明らかだ。官の需要に支えられている身として、今後少しでも情勢が変化することを期待したい。それにはまず「国の借金は悪」「公共事業は悪」という刷り込みからの脱却が求められる。

10 Sat

 フルートの運指はサックスと一部似ていて、一部が違う。ドレミで言うと、レミファソラシが同じでドだけが違う。いっそ全部違えばまったく異なる思考回路で覚えられるのだが、なまじ他が似ているだけにドだけが間違いやすい。
 また、高音の指使いはまったく異なる。サックスの場合は左手の手のひらにいくつかの特別なキーがあり、これで高音を操作する。これに対してフルートはそうした特別な高音用のキーなどが無く、低音と同じキーの運指の組み合わせだけを変えて高音を出す。
 根本的な違いは何かというと、倍音の出し方ということになるのだろう。倍音というのは同じ状態で周波数だけを変えて異なる音を出すこと。例えばトランペットは何もピストンを動かさない状態で、唇の微妙な動きと息の速さだけで音をド→ソ→高いド→高いミ という具合に音を変化させている。金管楽器はすべてこういう原理で音を出しているのだが、木管楽器ではフルートがこういう音の出し方をしている代表例というわけだ。当然運指も同じ指使いで複数の音を出すことになる。当たり前の話だが、長らくサックスばかり演奏していた僕にとってこれは意外な驚きだった。

9 Fri

 フルートの上手い演奏を聴く機会があった。もう、自分の演奏とは根本が違う。的確なアタックに音程、豊かな音色、何もかもが練習途上の自分とはまったく違うもので驚かされた。同時に感じたのはジャズの音とは違うな、ということ。聞けばクラシックの先生に習っているとのことで、自然に練習方法もクラシック風になるのだろう。
 ジャズのフルート奏法で代表的なものは、ローランド・カークやエリック・ドルフィーに代表される情感のこもった演奏だ。ときに息を吹く声までも同時に録音されるような熱情は、クラシックではめったに聴くことができないものだと思う。どちらが良いというものではなく、それぞれの音楽に合わせて奏法が進化してきたのだろう。

8 Thu

 休みます。

7 Wed

 かつて三重でブラバン少年だったころ、この季節は三重大学吹奏楽部のサマーコンサートの時期だった。ご存知の方は少ないと思うが、三重大学吹奏楽部は全国でも屈指の名門部であり、その新年度の演奏を聴くことができるということでこのコンサートはかなり広範囲から毎年客を集めてるイベントだった。
 吹奏楽部のコンサートというのは、大抵第一部がクラシック系のコンクール課題曲。その年に発表されるコンクール課題曲が四曲ほどあるのだが、三重大学ではそれらをすべて演奏していたと思う。これだけでも大したものだ。そして第二部はポップスのアレンジ。当時からジャズをはじめポピュラー音楽が好きだった僕はこの第二部で多くの楽曲を覚えたと言っても良い。
 毎年色々テーマを決めて演奏していたのだが、今でも覚えているのは「Swanee」「A Night In Tunisia」「Charade」などの古きアメリカのスタンダードや映画音楽を演奏したもの。特にA Night In Tunisiaは通常のベースパターンとは違うアレンジだったと記憶している。Charadeはミステリアスな12/8拍子によるアレンジが秀逸だった。
 ブラスバンドに対して否定的な意見を聞くことがある。クラシックを演奏するには中途半端。ポピュラー音楽を演奏するには身動きが取りにくい...。確かにそうだ。しかしブラスバンドには当時の僕のような中高生が音楽に興味を持つきっかけを与えてくれる貴重な場だと思う。それだけでも十分に存在価値はあるといえるのではないだろうか。

6 Tue

 Cの音を基準にして、白鍵のみで和音を作ってみる。和音の作り方は、白鍵をひとつ飛ばしごとに押さえる、というものだ。Cの場合、ドミソだからCEGとなる。これはCという和音に相当する。Dの場合、DFAとなる。これはDmとなる。以下、順に白鍵を押さえていくと、Em、F、G、Am、Bm-5となる。ここでBm-5とは、通常の○m7という和音に対して、五度の音が減五度になっているものを示す。
 この和音のうち、3つを使うだけで曲はできる。CとFとGだ。
 「CCCC|FFCC|GGCC」これはブルースのもっとも単純なコード進行だ。3つの和音しか使っていない。そしてこれらは、6/10辺りで紹介した「トニック」「サブドミナント」「ドミナント」に対応している。トニック=C、サブドミナント=F、ドミナント=G なのである。コードだけを見ると「アルファベットが表現する音と、その長3度上と5度上の音」が三種類あるだけなのだが、役割はそれぞれ違うのだ。

5 Mon

 ジャズに限らず大抵の西洋音楽は、コード進行を持っている。CM7とかDm7とか、そういうやつだ。一番単純なのがC、Dなどアルファベットのみで表されるコード。これは「アルファベットが表現する音と、その長3度上と5度上の音」を意味する。Cの場合「CEG」が、Dの場合「DF#A」がこれに相当する。要するにコードとは、音の間隔を示す記号なのだ。
 同様に、「○m」というコードがあるとすると、これは「○の音、その短三度上の音、五度上の音」ということを意味する。「○7」の場合は、「○の音、その長三度上の音、五度上の音、七度上の音」を意味する。「○m7」の場合は、「○の音、その短三度上の音、五度上の音、七度上の音」、「○M7」の場合は、「○の音、その短三度上の音、五度上の音、長七度上の音」を意味する。これで単純な曲のコードはすべて示すことができる。

4 Sun

 父方をたどると、僕の先祖はどうやら紀伊半島出身のようだ。父の実家は三重県尾鷲の近くにあり、その辺には僕の名字が大勢存在している。かつてはよく里帰りをしたものだ。紀伊半島はいまだ開発されていない豊かな自然が魅力であり、僕が幼少の頃から現在まで驚くほど風景が変化していない。
 そんな紀伊半島だが、歴史は古い。最南端の潮岬から少し内陸に入ったところには熊野大社や那智神社などがあり、そこに通じる街道は巡礼の道「熊野古道」として知られている。
 その熊野古道が世界遺産になったという。実に不思議な気分だ。自分がかつて亡き祖父を訪ねて訪れた道や、祖父の家から近くの海へ駆け出していった道の一部はかつての熊野古道なのである。
 自分が物心ついて30年も変化が無く、それゆえに世界遺産になった熊野古道。それが今回の登録でどう変化するのか。興味と不安が交錯する。

3 Sat

 リフォーム番組などが流行っているが、部屋というのは毎日過ごす場所だけに本当に体調を左右する。僕の部屋の場合は、朝の日差しが差し込める構造になっているので、寝坊をしたい日でも目覚めが早くなってしまうことがあった。まあ早起きする分には大して気にもならないので、面倒くさいということもあり、特に対策もせずそのままにしておいていた。
 しかし、引越してしばらく経ってからやはり何とかしようと思うようになった。原因は、ここ数日の真夏に近い日差しだ。引越し当時は気づかなかったが、暑いのだ。
 何とか防衛するしかないのだが、これまでのカーテンは薄手のもので、ここ最近の暑い日ざしをまったくさえぎってくれない。このため、カーテンを新調することにした。
 買うのは簡単だが、どういうものを買えば良いのだろう。失敗しないようにしたい。インテリア関連のサイトによると、カーテンというのは部屋の中で面積を取るものなので、あまり目立ってはいけないもののようだ。色についても、その面積ゆえに暗すぎると部屋を圧迫してしまうのだという。そこで、オーソドックスに無地で床と壁の色を混ぜたような色とした。
 結果、結構薄い色使いなのだが、落ち着いた感じになったかと思う。遮光性も高いので、明日の朝はぐっすりと寝坊できるかもしれない。これで休日に寝坊ができるのならば安い買い物なのかもしれない。

2 Fri

 休みます。

1 Thu

 勤めている会社の社長が交代した。新組織となり、新社長の所信表明演説が今日行われた。会社によくある「変革しないといけない」という類の話だったのだが、その例えとして進化論のダーウィンの言葉を引用していたのが印象に残った。
 曰く、「最後に生き残るのは強いものでもなく、大きいものでもなく、環境に適応できるものである。」なかなか真理を突いた言葉だと思う。
 人類はライオンよりも弱くゾウよりも小さいが、地球の覇者として繁栄を謳歌している。ダーウィンの言葉をそのまま具現化しているわけだ。この言葉が正しいとすると、生き残れなくなる条件は環境に適応できなくなるとき、ということになる。企業にとっては、市場のニーズに応えられなくなるときが生き残れなくなるとき、ということになるのだろう。

June

30 Wed

 ある二つの音があるとする。低い音を基準として半音上の音を日本語で「短二度」、全音上の音を「二度」と呼ぶ。ピアノの鍵盤で隣り合う二つの白鍵に着目したとき、間に黒鍵が無いところは「短二度の間隔」、黒鍵があるところは「長二度の間隔」というわけだ。
 この「度」は二だけではなくもっとたくさん存在する。
 まず三度。三度にも長短がある。ドの音から見てミのフラットが短三度でミが長三度だ。
 四度はひとつだけ。ファにあたる。長四度・短四度などは存在しない。慣例上、三度と五度に増減などの記号をつけて用いる。
 五度は三つ存在する。減五度・五度・増五度であり、それぞれ「ソのフラット」「ソ」「ソのシャープ」が相当する。
 六度はラの音。増六度はラのシャープに相当するが、減七度としてシのフラットとして用いられることが多い。両者は同じ音である。
 七度は減七度・七度の二つ。それぞれ「シのフラット」「シ」にあたる。
 八度は...「オクターブ」である。ドに戻るのだ。
 整理すると、ある音を基準に、順に「短二度」「二度」「短三度」「三度」「四度」「減五度」「五度」「増五度」「六度」「減七度(増六度)」「七度」と名づけられている。ここで減短長増などが付く音は、Cを一度のドと置いたとき、ピアノの黒鍵となる。
 これらは英語の呼び方があり、flat2nd、2nd、flat3rd、4th、flat5th、5th、sharp5th、6th、flat7th(sharp6th)、7th と呼ばれる。

22 Tue - 29 Tue

 休みました。うーん、かなりきつかった...。

21 Mon

 音の間隔はどう表現するのだろうか。半音とか全音とか聴いたことがあるだろう。ピアノの鍵盤の、隣同士の音を半音、ひとつ挟んだ音を全音と称する。例えば、Cのメジャースケールを考えてみる。Cの音の半音上はC#、Dの音の半音上はD#、Eの音の半音上はF、Fの音の半音上はF#である。
 Eのところだけ、半音上はE#にならずFになる。これは、「CDEFGABC」という音の並び方のルールがあるためだ。ある音「C」を基準にして、全音上がD、その全音上がE、半音上がF、全音上がG、全音上がA、全音上がB、半音上がオクターブ上のCになる。
 言い換えると、「Cから全全半全全全半の間隔で並ぶ音階」を「Cのメジャースケール」ということになる。スケールとは、「音がどういう間隔で並んでいるか」を示すルールなのだ。同じ理屈で、「Cのマイナースケール」とは「CDEbFGAbBbC」だが、これは「Cから全半全全半全全の間隔で並んでいるスケール」ということになる。

20Sun

 小学校のとき、♪を読むために「ドレミファソラシド」を習った。この「ドレミ」だが、絶対的な、ある特定の周波数で示される音の高さを表すものではない。絶対的な音の高さを表すときは、「CDEFGABC」という表現を用いる。
 例えば、フルートは譜面上で「ド」で表される音を出すと「C」の高さの音が出るように作られている。アルトサックスの場合、譜面上で「ド」で表される音を出すと「Eb」の高さの音が出る。トランペットやトロンボーン、テナーサックスでは「ド」と表される音を出すと「Bb」の高さの音が出るのだ。ド=Cではないのである。では、なぜそんなややこしいことをするのだろうか。
 歴史的なものはさておき、実務的な理由を考えてみる。もしそれぞれの楽器が、ピアノの楽譜と同じ表現をしたときのことを考えるとわかりやすい。フルートの場合五線譜の上の方ばかりになる。ベースはヘ音記号のさらに下の方ばかりになる。テナーサックスなんて真ん中になりそうだが、実はヘ音記号のあたりとなる。要するに譜面で見にくいのだろう。それぞれの楽器にふさわしい音域があり、それらが譜面上でもっとも表記しやすいように決められているのだと思う。

19 Sat

 今週は本当に忙しくて、このコーナーもまったく更新できなかった。何をしていたのかというと、某所に閉じ込められて資料を作っていたのだ。何の資料化というと、予算のための資料。役所は早くも来年度予算のための要求を開始する季節なのだ。要求を開始するにあたって、方針を偉い人に説明する。そのための資料作成に駆り出されていたのだ。本来は役所の行うべき仕事で、我々民間が立ち入るところではないのだが、忙しいということで今回の事態となった。
 結果、忙しいというだけあって、本当にこき使われた。それも地下鉄が無くなりタクシーでの帰宅やら、徹夜やら、尋常じゃないレベルだ。なぜこれほどの重大事を事前に準備しておかないのかまったく理解に苦しむところだが、突貫仕事でこうした予算要求資料は作成される。これらは来週東京の霞ヶ関に上げられ、国全体の資料として整えられる。そしてそれらが国土交通省全体の資料としてまとめられ、財務省との折衝に至る、というわけだ。この辺りで確か9月くらいになるはず。一年中、翌年の予算について協議し続けているようなものだ。憲法上の規定とはいえ、非効率この上ない。

15 Tue - 18 Fri

 休みました。近年まれに見るほど忙しかった...。

14 Mon

 和音はトニックとドミナントだけではない。サブドミナントという和音も存在する。役割としては、変化を与える、というものがある。
 例えば、「Cool Struttin'」のテーマ。ジャジャージャッ、ジャジャージャッ、ジャージャー、チャララジャージャー ジャジャージャッ」までがトニック。次から音が少し上がる「ジャジャージャッ」からがサブドミナントになる。小節数で言えば5小節目にあたる。原曲を知っている人ならば少しそれまでの4小節とは雰囲気が変化することが理解できるだろう。
 和音にはトニック、ドミナント、サブドミナントが存在する。トニックは安定。ドミナントは安定への移行、サブドミナントは変化を表現する。世の中には星の数ほどの和音があるが、コード進行に基づく基本的な役割はこれだけだ。他はこれらの大きな役割の中で、細かい変化を付けている、ということになる。

11 Fri - 13 Sun

 休みます。忙しい...。

10 Thu

 「起立、礼、着席」のときの和音を想像して欲しい。このとき、起立のときの和音は安定、礼のときの和音は不安定、着席のときの和音はまた安定、と感じないだろうか。「起立、礼、」だけで止まり、「着席」が無かったときを想像してみると、納得いくと思う。「礼」の和音が鳴ると、セットで「着席」の和音が鳴るまではどうにも居心地が悪いのだ。
 このことは、一つの事実を証明する。「ある和音のとき、人は別の和音を聴きたい、聴かないと気持ち悪い」と感じる、ということだ。では、なぜ居心地が悪く感じるのだろうか。結論を簡単に言うと、不安定に感じる和音には軽い不協和音が混じっている。そのため、より安定した響きを持つ和音に自然に移り変わりたい、という感覚が生じる、という仕組みなのである。
 このように、和音には役割がある。ここでは、和音には少なくとも二つの役割があることを説明した。音楽理論の中では、安定を感じる和音をトニック、不安定を感じて、安定した和音に移りたいと感じる和音をドミナントと呼ぶ。

9 Wed

 休みます。

8 Tue

 Jazz Messengersはファンキーな演奏をするグループとして名をはせており、花形ソリストはLee MorganとBobby Timmonsだった。彼らは思い切りファンキーな演奏で観客を熱狂させた。しかし時代は徐々にファンキーからモードの時代へと移りつつあった。そもそも有名な「Moanin'」が出たのは1961年であり、Miles DavisがKind Of Blueを発表した1957年から4年の時が経っていた。この時代、ジャズの4年間は大きい。売れ始めた当初からJazz Messengersは最先端のジャズからは離れつつあったわけだ。
 このままではジリ貧だ、ということで登場したのがWayne Shorterだ。Shorterは音楽監督として、あくまでもファンキーというJazz Messengersのアイデンティティを変えないままモード奏法を導入した。
 始めはたまにモードを演奏し、バンドに新鮮な空気を提供するくらいだったのが、いつしかアルバムでもメインはモード演奏になっていく。メンバーも徐々にモード演奏に慣れ、バンドもモード演奏でもファンキージャズと同じように熱狂的な演奏が可能になっていく。ソロのバックでも盛り上がれるように、フロントも二管から三管に強化した。
 しかし徐々に限界も見えてくる。Lee MorganやBobby Timmonsは素晴らしいが、あくまでコードのジャズの範囲内でしかソロがとれないのだ。アレンジは変えられてもメンバーの素質や向き不向きは変えられない。
 二管編成と三管編成で大きくバンドが異なる。原因はこのあたりにある、というのが自然な考え方だろう。

7 Mon

 Art BlakeyのJazz Messengersは一般的に、フロントがLee Morgan・Wayne Shorterによるニ管時代と、Freddie Hubbard・Wayne Shorter・Curtis Fullerによる三管時代の人気が高い。もちろん他にも良い時代はたくさんある。例えば「Moanin'」のLee Morgan・Benny Golson時代などはアルバム数こそ少ないが、その少ないアルバム「Moanin'」が圧倒的なインパクトのために有名といえる。まあそんな例外もあるとはいえ、ジャズ史的には冒頭に掲げた二つの時代が最右翼だと言って間違いではないだろう。
 さて、今日は、「Impulse! / Art Blakey and the Jazz Messengers」を聴いた。このアルバムはニ管時代と三管時代の過渡期にあたるアルバムで、バックは二管時代で、フロントはニ管時代+Curtis Fullerという編成なのだ。
 このアルバムの発表後にLee MorganとBobby Timmonsに代わってFreddie Hubbard・Cedar Waltonが雇われる。ちょうどこの時期、ファンキーからモードへの過渡期にあったことを考えると、実に興味深い人事だ。
 そのことは選曲にも伺える。このアルバムは、ほとんどがファンキージャズなのだが、一曲めだけがモードである「A La Mode」で飾られている。一般にニ管編成=ファンキー、三管編成=モード、と捉えると、この流れは非常に興味深い。
 ではこの変化はなぜ生じたのだろうか。キー・パーソンはWayne Shorterだろう。

6 Sun

 昨日今日と学会で神戸に行ってきた。久しぶりに訪れた神戸は美しかった。絵になる街、という話をするならば、神戸は間違いなくその最右翼だろう。
 なぜ絵になるのだろうか。誰でもわかると思うが、美しいと感じる構成要素としてあげられるのが海と山だろう。そもそもの地形が美しいのだ。南にある海からなだらかに六甲山まで1km程度であっと言う間に300mほどの標高まで駆け上がる、その地形。高低差のある街は立体感があり、目線が次々に変化する。じゃあ高低差があれば良いのかといえばそうではなくて、さしわたし数kmでそのコントラストが感じられる、というのが重要だ。人がその大きさをほどよく実感できる規模なのだと思う。
 もちろん地形だけが美しいのではない。山すそに広がる低層の住宅地や路地も構成要素として十分に美しいと感じた。

5 Sat

 休みます。

4 Fri

 とある書類を作る機会があった。その書類はいくつかのかなり専門的な内容を含むものだった。もちろんメインの専門分野は担当者たる僕の専門分野なのだが、それ以外の内容も含まれていた。自分の専門分野以外の文章の標準というのはよくわからない。そこで二人の同期に相談することにした。一人は東京、もう一人は大阪で働いている。
 大阪の方の同期はべったり親しくはないが、普通に気兼ねなく付き合える良いやつだ。果たして、こちらの要領を得ない相談に快く真剣に答えてくれた。おかげでその専門分野の記述は大したことがない、ということがよくわかった。専門分野でないというのは、そういう些細なことすらもわからないわけだ。とにかく本当にありがたい。
 東京の方の同期はかなり親しい。親しさに甘えてちょっとした文章の作成も依頼した。見事に応えてくれた。電子メールで彼が送ってくれた文章に色々質問する。また、自分が考えていたアイディアも相談する。結果、そのアイディアはあまり面白くないんだ、ということがわかった。ありがたい。
 こうして何とか書類作成は目処がついた。人に相談して書類を作るなんてどこでもやっていることのように思うが、それは違う。会社組織といってもいろんなしがらみがあり、なかなか一枚岩で動けるとは限らない。他の人は他の人で忙しい仕事を抱えてもいる。勢い、自分の身の回りだけの知識で解決しがちになるわけだ。
 そんなとき同期のつながりというのは本当にありがたい。入社当時の思いを絆にちょっとした頼みごとなら気楽に応えてもらえる。これまでもできるだけそうしてきたつもりだが、次に彼らや他の同期から何か頼まれたら、快く引き受けたいと改めて思った。

3 Thu

 ある航空写真を見る機会があった。その写真は静岡市を写したもので、餅で有名な安倍川上空から東京方面である東を望んでおり、静岡市街が広がっている。市街のはるか彼方には富士山が見える。つまり安倍川と富士山の間に静岡の市街が広がっているという構図になっていて、それを一気に眺めるという具合になっている。
 静岡の市街の中心には駿府城跡が見える。かつて引退した徳川家康が住んでいたところだ。さらに、旧東海道と思しき旧街道らしい道路が見える。それは安倍川から駿府城の方向に一直線に向かい、右に折れてしばらく行ったあとまた左に折れて、富士山の方向を目指している。静岡の次の宿場は清水だから、その旧街道は清水に通じているのだろう。
 ここでかつての旅人の目線を想像してみた。きっと素晴らしい風景だったことだろう。京都から江戸を目指した旅人が安倍川を渡ったとき、東海道の行く先にはきっと駿府城が見えたに違いない。そしてそのバックには富士山が見えていたはずだ。はるばる旅してきた人たちは、その風景に心が揺さぶられたに違いない。人によっては感慨深く、何て遠くまで来てしまったんだ、国に残してきた人たちは元気だろうか、とも考えたことだろう。現代、交通機関が発達して都市化した眺めの中でも何かしらの感慨を感じるくらいなのだ。それくらいあってもおかしな話ではないだろう。

2 Wed

 岐阜県には郡上八幡という町が存在する。お盆の時期に徹夜で踊り明かす、という「徹夜踊り」で有名な観光地だ。最近市町村合併によって郡上市という自治体になっている。
 今日はそこに行く機会があった。交通手段は、車。鉄道は第三セクターの長良川鉄道が通っているだけで非常に不便。自然に、車を利用することになる。高速道路である東海北陸自動車道が郡上八幡を通過しており、県都である岐阜市からは余裕を見ても1時間ほどで到達するから、それこそ名古屋から見たら気軽に訪れることのできる観光地という位置付けになっている。
 そんなわけですんなりと郡上市の用事を終えて今日は帰ってきたわけだが、この郡上市、僕が名古屋に来た15年ほど前まではかなり遠いイメージがあった。こういう心理的な要素というのは大きくて、例えば目的地選択に知らず知らずのうちに影響を与えているものだ。積もり積もると、観光やらで選択肢に入れる人も増えるだろうし、効果は計り知れない、ということになるだろう。高速道路の開通効果というのを仕事柄よく考えるが、時間短縮による目に見える直接効果が、人の心理という目に見えないものまで変える、というわけだ。

1 Tue

 フルートの練習を続けている。最近は音が少しだけ太くなった気がして喜んでいる。高音が出にくかったのも解消されてきた。音の出だしにも気を遣う余裕がでてきた。ところが、同時に新しい問題も明らかになってきた。
 高音を出すとき、想定しているよりももっと高音、いわゆる「裏返った音」が出てしまうときがあるのだ。まだまだアンブシュアと息の量の兼ね合いについて、練習が足りないということだろう。
 また、少し余裕ができたこともあって、これまで認識していなかった問題にも気づいた。音の強弱である。今現在の僕のテクニックでは、同じ音の強さでしか演奏できないのだ。弱くしようとすると音が不安定になってしまう。
 まぁ、フルートはもともと強弱がつけにくい楽器なのでそう大きな問題ではない、と割り切れなくもないのだが、割り切ったら楽器は上達しない。結局結論としては練習するしかないのだ。
 そういえば、実はサックスでも音の強弱に関連した問題があった。音に強弱をつけると、ピッチが変わってしまうのだ。息の量を腹筋ではなくてのどでコントロールしてしまっているということなのだろう。いずれにせよ練習しかない。フルートの練習によってサックスにも良い影響が出ることを期待している。

May

31 Mon

 僕が学生時代に学んだ教授の専門分野は、交通需要推計の分野だ。要するに統計資料から将来の交通需要を予測する、というもの。実務では現在でも簡便な推計方法が用いられているのだが、これをもう少し厳密に解きましょう、というもの。交通量配分をある仮定の元に数式化した結果は、ある種のゲーム理論上の均衡解に相当するため、数学上の変換式を使うと、数学の世界では一般的な「数理最適化問題」という方程式を解く、という問題に変換できる。それを解くことで、理論上厳密な解が得られる、というものだった。正直言ってかなり難解なもので僕も全貌をはっきり説明できるわけではない。実際、僕が大学を卒業し、社会人になってからもなかなか実用化にはいたっていなかったが、ようやく学会でのテキストや政府のマニュアルにも記載されるようになってきた、というところだった。
 そんな中、専門分野の最新の研究発表会の原稿を読む機会があった。その中の一つに、その解析手法が前提としている考え方よりも他の前提で問題を解くべきじゃないか、という内容があった。興味があり読んでみたところ、中身としてはうなずけるもの。こちらも実用化に至るにはまだまだ遠いと思うが、何となくさみしい気もした。

30 Sun

 愛知県の社会人ビッグバンドの祭典「Be Happy Jazz Festval」にバンドメンバーとして参加した。主催は社会人ビッグバンドの連盟なのだが、参加するバンドには大学生や高校生のバンドも含まれる。アマチュアの発表会と言って馬鹿にはできなくて、会場となった知立市のホールは7割から8割の人々で埋まっていた。ゲストは高橋達也さん。御年72歳だが、今年もソロを吹いていた。高橋さんの参加も集客に大きく寄与していることだろう。
 このイベントは毎年社会人バンドのうちの一つが幹事バンドとしてイベント運営全体を行う。各バンド代表による合議制による運営だと調整が大変だからこういう形になったのだと思うが、これがゲストとして招くプロミュージシャンからは全国的にも珍しいと指摘をうけたばかりか、どうやら好評らしい。
 その方曰く、幹事に当たったバンドにとっては「恥はかけない」という危機意識からか、バンド意識の底上げにつながっている、と感じられるのだそうだ。
 本当なのかお世辞なのかはよくわからないが、話としてはそうかもしれない、と思わせられる。合理化を追求した結果が別の効果になったわけで、怪我の功名ということになるのだろうか。

29 Sat

 仕事で、豊田市から長久手町を連絡して名古屋市へのアクセスを担う猿投グリーンロードという有料道路を利用する。沿線は来年開催される愛知万博のメイン会場予定地であり、現在急ピッチで建設作業が進められている。僕はこの道路を利用するのは随分久しぶりだったので、その変貌ぶりに驚いた。
 かつて訪れたのは大学生のときだっただろうか。当時、猿投グリーンロードは片側一車線の有料道路で、休日はともかく平日はそこそこの交通量しか見込めないような道路だった。沿線に位置する愛知青少年公園は本当の総合公園という雰囲気で、野球場やテニスコート、バーベキューハウスなどが点在する施設だった。
 それが久しぶりに見たら激変していた。道路は一部がすでに片側二車線に拡幅、別線のバイパスもできている。さらに東名高速道路から直結する新しい有料道路の出入り口が建設されているほか、果ては名古屋市営地下鉄の最終駅から接続する新交通システムまで建設されていた。青少年公園のあった場所は万博のメイン会場ということで観覧車が建設されつつあった。正に工事現場の見本市。現場監督は大変だろうな、と職業柄おかしな心配までしてしまった。
 ふと、筑波での生活の最後のころに筑波科学博の跡地に行ったことを思い出した。すでにそこは万博記念公園としてのどかな公園になっていた。しかしあののどかな公園も、かつてはこの目の前の建設現場のように機械が走り回っていたわけだ。そう思うと、今まさに動き出そうとする万博も、万博が終わればあの筑波の記念公園のようなのどかな風景になり、愛知万博も一つの思い出になるわけだ。それはお金がかかることで賛否両論あるだろうが、そうして人々の心に残るイベントを開催するということがイベント開催の一つの大きな意義なのだろうな、などと考えたりした。

28 Fri

 休みます。

27 Thu

 フルートの練習は続けている。20日に書いたようにオクターブがうまく表現できないときがあったので、基礎練習でそれを練習している。前述のとおりフルートは息の吹き込み方だけでオクターブを変える。だからドレミファソラシドを、オクターブ交互に吹く練習をしてみた。高いド、低いド、高いレ、低いレ...という具合。高い音と低い音を入れ替えたり、ドレミの順じゃなくてドシラソ・・・と高い方から降りつつオクターブで動く、ということもやってみた。極めてテクニカルな練習だが、基礎練習だから当たり前なのだ。実際、今は自分でもわかるくらい慣れてきているので、吹いていてとても楽しい。
 次はオクターブよりももっと高い音をスムースに出したい。今でも音は出るのだが、運指が難しくて戸惑ってしまう。
 それができたらようやく音色の方に気を遣うことができる。音の出し方、止め方...。いったいいつになったらアドリブができるようになるのだろうか。先は長いが、かなり楽しめる趣味ができた。

26 Wed

 年金に関する未納問題なんて議論がかまびすしいが、僕も自動車税を未納になりそうになった。
 別に悪いことを企んだわけではなくて、引越しが原因。県を越える自動車の移動は、本来は各県の運輸局にとどけないといけない。運輸局で納税証を提示して車検証を書き換えて、ナンバープレートを置き換える、という作業が必要になるわけだ。
 僕の場合は一年間茨城県民だったが、どうせ一年で転居することもあり、土浦ナンバーになるのも気が進まなかったのでそのままにしていた。自動車税は、愛知県の分を茨城県の銀行で支払った。車検も通した。運輸局に登録しなくても、必要な手続きは全部できるのだ。
 そして一年が経った。車は名古屋ナンバーのまま持ち帰り、早くも五月ということで自動車税の季節になる...。というところでようやく気が付いた。自動車税納付の通知書が届かないのだ。自分の住所が変わったことを愛知県の県税事務所に届けないといけないのだが、これを忘れていた。一年間なら郵便局が転送してくれるが、前の名古屋の部屋を出て二年目になるため、転送もしてくれなかった、というわけだ。
 ふと魔がさしてこのまま未納で押し通そうかとも思ったが、もちろんそういうわけにはいかない。何しろ次の車検を通すことができない。もちろん廃車にもできない。最近故障が多くなってきたこともあり、今後の不測の事態を考えるとこの辺はきっちりしておきたいわけで、先日県税事務所に「自首」の電話をかけた。自ら納付するとの申し出に、職員氏は快く応対。そして今日、無事に数万円もの請求書が届いたのだった。
 それにしても自動車関連の縦割り行政には困ったものだ。警察と市と県それぞれに届け出ないといけないとは。

25 Tue

 休みます。

24 Mon

 以前名古屋にいたころは大学生活の延長上でコンビニ通いだったが、昨年一年間の茨城県ぐらしでスーパーに行く習慣がついたので、名古屋に戻ってきてからも食料品買出しはスーパーを利用している。それでわかったのだが、名古屋の物価は、茨城県よりもやや高い。別に統計をとったわけではないが、食料品は10円から15円程度違うように感じる。
 高い環境に甘んじるわけにもいかない、と安いスーパーを探していたところ、見つけた。どことなく昭和の香りただようその名も「ショッピエコー」。なぜショッじゃなくてショッなのかよくわからないが、とにかくそういう名前のスーパーだ。
 店構えも店名に負けずレトロな感じ。スーパーというより、市場の延長上のような雑然とした店内。すべてが良くも悪くも昭和のムード漂うと言えるだろう。子供の頃に母親に連れられて来た頃の牛虎(ぎゅうとら。伊勢志摩ローカルのスーパーの名前)って、こんな雰囲気だったよな...とデジャブーを感じてしまった。
 本題の値段だが、品揃えは大手スーパーに負けるものの確かに安い。そう思って買い物カゴに食品を放り込み、レジに並ぶ。...ふとレジのバイトさんの手元を見ると、レジは数字のボタンで値段を打っていた。今はほとんどの店がバーコードだから、最近ではかなり珍しい。少し前までみんなこうだったよなあ、とまるでダイヤル電話を見たような気分になった。これでレジの袋が紙袋だったら完璧だったが、さすがにそこまではいかなかった。
 とはいえショッピエコー、ちょっとファンになった。また行くことになりそうだ。

23 Sun

 車のバッテリーが原因不明であがってしまったため、先週から修理に出していた。今日、ディーラーから治ったとの連絡があり、取りに行く。
 原因はバッテリーそのものではなく、車を制御するコンピュータの故障なのだという。車というのは、降りてキーを抜いてからもしばらくは電源が低い状態で入ったままになっているのだそうだ。家電製品の省エネモードみたいなものだろうか。その間に色々と設定を保存したりするのだろう。それが何かの原因で故障した。コンピュータは省電力ながら動いたままになった。今回のケースでは、窓だったかドアだったかを「閉める」という命令が入りっぱなしになったのだという。それで、三日間くらいでバッテリーがあがってしまったのだそうだ。
 修理方法は、本来は英国にコンピュータを取替えに行かないといけなくて、数十万の出費なのだそうだ。しかし今回は、別の廃車の部品を載せてもらい、工賃だけですんだ。危ないところだった。
 ほっとして一件落着かとも思うが、よくよく考えると青くなる。今後こういうケースが起こったら、そしてうまい代わりの部品が手当てできなかったら、かなり危険だ。この車はそれなりに気に入っており、長く乗りつづけるつもりでいたが、部品が無くなったら乗るに乗れない。この車はすでに生産中止で、会社そのものもこの車が出来たころとは別資本になっている。状況から考えて、そろそろ本気で買い替えを考える時期に入ってきたようだ。

22 Sat

 拉致被害者の子供たちが帰国した。これからの生活が大変だと思うが、帰国できたことには素直に喜びたい。
 ただ外交としてはどうなんだろう、と思わざるを得ない。ゲーム理論で言えば外交は繰り返しゲームであり、その取引材料というのは相手の利益を予測して設定すべきものだ。相手が妥協できる中でもっとも不利なものにしないと次のゲームの前提条件が苦しくなる、ということになる。
 今回のケースでは、短期的には家族が再会できて本当に良かった。しかし長期的には、人道支援として、他の被害者の安否について確約が得られないままにお米や医薬品をかなりの量で差し出すことが前提とした外交が前例として残ってしまったことになる。本来は無条件で返してしかるべき被害者の家族であるにもかかわらず、だ。
 今後の展開としては最悪の展開を考えておかないといけない。他の被害者を調査するという約束は「やっぱりよくわからない」と一蹴、ミサイル開発も核開発もそのまま。残ったのは多額の支援負担のみ、という前提。今後は苦しい展開になりそうだ。喜ぶ二家族の隣でより深く苦しむことになった曽我さんが不憫でならない。

21 Fri

 景観緑三法と通称される法律ができる。これまで日本になかった「景観」という価値観に対して法的な位置付けを与えるものだ。これまでにも景観条例などは存在したが、それらの条例と今回の法律の違いは法的な強制力の有無が有るか無いかということ。景観法には法的強制力が伴う。これに基づき地方自治体が条例を作ると、例えば看板の規制や保存区域の制定などに「罰則を伴う」法的な規制などが可能になる。
 もちろん問題もあって、これは私権を制限するものだ。当然、この法律に基づき景観に対する取り決めを行う場合には住民の合意を得ることが必要となる。これがどこまで現実的に可能か、ということが問題となるわけだ。
 法律は今国会で成立し、施行の運びとなるのだろうが、実際に法律が現実社会の中で動き出すのは県が基準を作り、各市町村が住民の合意を得て、というプロセスを踏むために数年後になることと思う。
 例外も考えられる。景観が税収に直結する自治体=観光地 については、存外早く成立するかもしれない。10年くらい経つと、ある観光地を抱える自治体では欧米のような景観が成立している、ということもあながち非現実という話ではなくなるのだ。正しく運用され、住民に受け入れられるならば、だが。

20 Thu

 フルートの練習を続けている。現在の課題は、オクターブがうまく切り替えられないこと。フルートはオクターブを口の形だけで変えるのだが、それが高い音が安定しない。原因は、自分のアンブシュアだ。息を吹き込むときの口の形が安定しないので、音が裏返ってしまうというわけだ。今日はその辺りを注意して練習した。
 それと一つわかったことは、わきを締めると構えが安定するようだ。あと、右手を反り返らせない方が良さそうだ、とか細かいところを色々とチェックする。
 本番はもうすぐなのだが、大丈夫だろうか。一番の心配ごとは、緊張して唇が震えてしまい、正しいアンブシュアどころか音そのものが出ない、ということだ。実はこれがもっとも発生しそうな問題のような気がする。

19 Wed

 エルヴィン・ジョーンズが亡くなった。ジャズを聴きはじめた頃から知っている人だから、悲しさもひとしおだ。そういえばジャズを聴きはじめた当時は、彼の良さがそれほど理解できなかった。
 理由は至極単純で、当時持っていたチープなラジカセでは、彼のポリリズムを体感することが難しかったのだ。確かに迫力があるが、それほどすごい、と感じることがそのラジカセからは出来なかった。その認識は、さまざまなジャズを聴いたり、ラジカセがオーディオのステレオに換わったりするにつれて当然のごとく間違いだ、と正されることになるのだが、本当に認識できたのは彼のライブを生で観てからのことだったと思う。ライブのさなかポリリズムの中に酔いしれているうちに、いつしか空間がゆがむという感覚に陥ったのだ。彼の演奏を文章で表現するとき、「うねりのあるリズム」という表現が用いられるが、正にそれを体感した。彼のすごさを本当に知ったのはこのときだったと考えている。
 しかしそのうねりはもう体感することができない、CDの中でしか追体験できないものになってしまった。合掌。

18 Tue

 僕の業界は勤務時間が長いことで有名だ。僕の担当する分野はそれほどではないが、他の分野では月に200時間以上の残業時間、という事例が存在するくらいだ。大体毎日夜10時まで働くと50〜60時間くらいの残業時間になるから、200時間というのがどれだけめちゃくちゃなものかわかると思う。
 僕たちの商売は機械任せでは成立せず、必ず手作業を行い、頭を使って技術的検討を実施しないと業務を行うことができない。それが売りだから当然なのだが、そんな中で残業時間が発生するのは、一人でこなせられる量を超えた需要があるからで、それを補うには人手を増やすしかない、というのは当然の帰結なのだ。それはそうだろう。これはある工場でモノを作るときと同じ話だ。ある製品をこれまで以上に生産するには、生産速度を上げるか、生産する機械を増やすしかありえない。
 しかし、どうも経営者はそれを認めたくないようだ。この工場では機械にオイルもささずに動け、と叱り飛ばしているばかり、とは言い過ぎか。

17 Mon

 久しぶりに「Soul Station / Hank Mobley」を聴く。学生の頃の愛聴盤だった。デッキにCDが滑り込み、音が流れる。
 一曲目はIrving Berlinの'Remember'だった...。そのまま気分は学生の頃の、希望と不安の毎日だった頃に戻る。
 二曲目は名曲'This I Dig of You'。ハードバップの王道を行く颯爽としつつも哀愁あるオリジナルだ。かつてコード進行を研究したことを思い出す。
 三曲目は'Dig Dis'。これはブルースだ。かつてソロをコピーしたことがあるなぁ。思ったよりもずっと複雑で理論立っているモブレーのソロはジャズを学ぶのに最適だ。こうなると四曲目は...と時間は過ぎ、あっと言う間にラストの'If I Should Lose You'になってしまう。時の経過とともに時間が早くなるのだな。そう感じた37分30秒だった。

16 Sun

 今日の午前はバンドの練習だったため、小雨の降りしきる中アパート一階の駐車場へ。愛車にサックスとフルート、楽譜やら一式を積み込み、セルモーターを回して...「あれ?」
 なんとバッテリーが上がっていた。最後に乗ったのは確か水曜日の夕方。わずか5日前のことだ。5月初めに換えたばかりなのになぜ。照明か?違う。きちんとOFFになっている。それに水曜日は夕方に乗って、最後はこの暗い一階の駐車場にたどりついたのだから、照明を消し忘れて戻るなんてありえない。それではエアコン、ステレオは?問題ない。わからなかった。
 とにかく練習場は車でないと行けない場所なので、メンバーに連絡。「遅れます。行けないかも...」
 その後しばし思案する。JAFに入会していないので、ロードサービスも有料だ。念のため確認。「非会員様ですと配車料+工賃で、およそ10,000円になります。」「...あ、いいです。すいません。」ぼったくりバーより高いじゃないか。
 結局ジャズ研時代の知り合いに電話して助けてもらうことになった。ありがとう。助かった。前回買ったブースターケーブルをわずか二週間でもう一度使うはめになるとは。
 とりもなおさずサービス工場に行こうとも思ったが、バンド練習後に動かなかったらまたメンバーに助けてもらおう、と練習場へ。結局バンド練習場に到着したのは、定時より一時間半遅れてのことだった。
 バンド練習後、恐る恐るセルを回す....ほっ。急ぎサービス工場へ。結局漏電しているかも、とのことでしばらくお預けとなってしまった。参った。ということは、以前のバッテリー上がりも寿命じゃなくて漏電が原因だったのだろうか?

15 Sat

 この時期は、今年度の業務のためのプロポーザルを求められることが多い。受注前提で企画の中身を問われるものもあれば、中には出来レースじゃないか、と感じるような案件もあったりする。
 受注がある程度見込めそうなものは、現実性も含めて慎重に考える。出来ない作業を出来ると書いて実際に作業が始まってから出来ません、では済まされない。責任問題になるわけだ。
 逆に、受注の見込みが無い案件については、自分の理想を書き連ねることにしている。実現可能性がやや低く、実力からは高い提案であってもこんなことが出来たら良い、という企画をするわけだ。もちろん荒唐無稽な提案であってはいけない。あくまでも企画に合ったものでなければならない。もし受注できたらラッキー、出来なくても勉強にはなる、というわけだ。

14 Fri

 休みます。

13 Thu

 会社で使用しているPCを変更する。新しいPCをネットにつなぎ、これまで使っていたPCを閲覧できるようにする。以前のPCの中にあったファイルをまとめて、新しいPCに移動。メールも、文章とアドレス帳はすべてエクスポートできる。ブラウザの「お気に入り」も移動。以前のお気に入りや履歴はしっかり消して、証拠隠滅。ついでに壁紙やスクリーンセイバーも移動。慣れたものだ...というところで、躓いた。
 ビジネスで使用する以上、印刷機能が欠かせないのだが、これの設定がうまくいかない。会社のLAN環境との相性が悪いのか、原因がさっぱりわからない。時間ばかりが過ぎていく...。こればかりをしているわけにもいかないから、断続的に作業を進めたのだが、それでも20回以上のインストール、アンインストール、再起動を繰り返した。プリンタメーカーのサイトから何回か最新ファイルをダウンロードもしてみたが、埒が開かない。
 結局今日は、印刷が出来ないまま終わってしまった。複数のプリンタを試して、すべてが駄目だったことから、原因はドライバではなくて設定にありそうだが...。よくわからないし、時間もかかる。明日にはこんな無駄な時間を過ごすことは避けたいものだ。

12 Wed

 公共事業の価値を計る手法にはいくつかある。
 そのうちの一つは「CVM手法」。アンケートで、例えば「この公園ができるとしたらいくら払っても良いですか?」とたずねて、その額が事業の価値だ、という方法である。学問的には色んな課題もあるが、結構使われているらしい。僕も挑戦してみたい。
 最近は「コンジョイント分析」という手法が用いられてきているという。これはアンケートに、複数の情報を盛り込む。A物件「駅まで4,000m、商店街まで5,000m、騒音40dB、価格3,500万円の家」とB物件「駅まで500m、商店街まで500m、騒音60dB、価格3,000万円の家」とを複数の人たちに選んでもらう。たくさんの結果から、「駅までの距離」「商店街までの距離」「騒音」「価格」に対して、それぞれの傾向がつかめる。それによって価値を計ることができるのだという。うーん、面白い。
 感覚的な「人の思い」を何とか数値にしようという試みは、これから執行が難しくなる公共事業にとっては強力なツールとなるに違いない。そしてそれは公共事業を進めない、というツールにもなり得ることだろう。

11 Tue

 打ち合わせで新城市に向かうことになった。午前中、車で向かう。都心の会社からは名古屋高速道路を利用することになる。都心の入り口から高速道路に乗ると、すぐに名古屋城が見える。城を左手に見ながら環状線を半周。名古屋の環状線は小さいから、渋滞が無ければ5分も走れば半周できる。そこから分岐して、東へ。トンネルが待っている。トンネルの向こうは名古屋ICだ。
 名古屋ICからは東名高速道路を利用する。東名三好IC、豊田IC、岡崎IC、音羽蒲郡ICと通過。三河の新緑はとても美しい。途中には建設途中の第二東名高速道路の高架がまたいでいる。やがて車は豊川ICへ。ここで降りる。国道151号を北上。豊川沿いを走る。途中で昼食を取った。店で座った席は、豊川の川辺の席だった。しばし新緑と晴れた空、美しい川面にうっとりとしてしまう。心は自然に穏やかになった。
 そのおかげだろうか、仕事もまずまずうまくいった。良い一日だった。

10 Mon

 現在、自家用車を持っていて、その間に二度引越しをした。車検証記載の住所も変更しないと将来廃車にすることができない。もう買って数年経つので、きちんとしておこうと思った。ところがこれが実に大変だ。
 車庫証明と認印がネックだった。
 車庫証明は、引越しをしたら取り直さないといけない。これには不動産屋に書類を書いてもらう必要がある。書類は警察にある。よって、警察に行き、不動産屋に連絡し、書類を書いてもらい、もう一度警察に行き、車庫証明書類を提出する。その場ではもらえなくて、後日さらに警察に行く必要がある。
 認印は、所有者と使用者が同じである場合は問題ないが、違う場合はそれぞれのものが要る。僕の場合は、購入当時印鑑証明が無かったので、別々だった。別々だと将来売ることも出来ないので、所有権を移転することにした。
 ところが、所有権移転の書類には納税書が要ると言う。しかも年次が変わったので今年のものが要るとのこと。まだ届いていないので、これを待つことになった。これを払い、ディーラーに書類を送付し、所有の移転をしてから、車庫証明書を警察に取りに行き、ようやく運輸局に行けることになるわけだ。

9 Sun

 フルートの練習をしている。フルート本体を買い換えたこともあり、安定度や正確さは以前よりはマシにはなったが、まだまだのレベルであることに間違いは無い。基礎練習が必要だ。
 何よりもまずはアンブシュアだ。口の形。形が悪いとそもそも音すら出ない。フルートは、指の形が同じで、息の吹き込み方だけで二つや三つの音を変化させる必要があるからとても大事なのだ。アンブシュアが悪いと、ある音を吹いていても途中で他の音になってしまったりするのだ。トランペットが音をしくじる例があるが、それと同じ状態。
 次は運指。キーを押すことによるフルート本体の穴の塞ぎ方のことだ。指の押さえ方は、頭でこれ、と考える音に合わせて即座に的確に反応しないといけないのだが、低音部はともかく高音部でこれがまだできない。高いレは、このキーととこのキーを押さえて...などとなってしまうのだ。注意が指の形にいってしまうと肝心の音色に集中できない。そうでなくても音をハズしたり、出なかったりする不安定なアンブシュアなのに、ひどさに輪がかかる。
 何しろ単なる練習なのに、全員でアンサンブルをすると緊張してアンブシュアが狂い、音が出なくなるくらいの素人度合いなのだ。サックスなら相当の観客がいても大丈夫なんだが。メンタル面でもまだまだ道は遠い。

8 Sat

 休みます。

7 Fri

 BSでLord of the Ringを見る。僕の世代では「指輪物語」の方がわかりやすい。中学生くらいの頃に読んで、挫折した記憶があった。年老いた魔法使い、永遠の若さを持つエルフ、荒くれもののドワーフ、小さなホビット、そして人間が活躍する物語だったが、僕は物語に入る前の、ホビットの膨大な歴史やら習慣やら風俗やら、そうした描写が100ページくらい続くのに飽きてしまったのだった。確か6巻のうちの1巻の、その前半部分だったと思う。一ページに二段で、細かい文字だった。
 映画の方は果たして、その辺はあっさりと省略されており、その後に続く冒険の物語がこれでもか、という技術で再現されていた。本当に映画の世界がこの世のどこかに存在するかのような驚きだった。
 指輪物語は古典だが、現在に続く「ファンタジーもの」の原点、そしてすべてがここにあると言って過言ではないだろう。ほとんどのファンタジーものは指輪物語のバリエーションに過ぎない。映像を見て確信した。
 さて、映画はすでに三部作が完結している。僕が観たのは一部だけだった。これからどうしようか迷っている。本を読もうか、映画を見るか。映画を観るのが楽なのだが、あのとき挫折した本に挑んでみたい気もしている。

6 Thu

 土木業界は談合体質だなどと言われているが、色々と改革が進んでいる。その一つがプロポーザルによる入札。価格オンリーではなくてアイディアを業者から募り、その優劣で業者を選定する、というもの。まことに結構な話なのだが、いざ自分がアイディアを出す段になるとこれが大変なのだ。今日は一日、プロポーザルのための原稿を作っていた。
 まず課題に対してアイディアを考える。どうすれば与えられた課題を解決できるのか。業務にあたって考慮しておかないといけないことは何か、これまでに行ってきたことは何か、世の中で公共事業に求められているものは何か、そしてこの業務でそれはどう解決すべきなのか。さらに学問的に、何か新しいものはあるか・・・。少し書いただけでもたくさんのことを考えないといけないことがわかると思う。
 それらを、業務実施方針と業務内容の二つに分けて書く。わかりやすく、簡潔に、きれいに、しかも目を惹くように。
 そうしてがんばって書いても、採用されるとは限らないのがつらいところ。他にも優秀な人間が虎視眈々と仕事にありつこうと狙っているのだ。
 まあ価格で負けるより、アイディアで負ける方があきらめはつくというものだ。

5 Wed

 フルートを購入する。中古でヤマハの初心者向けモデルだが、その分音は出しやすいモデルだ。一応試奏してみて、納得いくものを選んだ。
 大きな声では言えないが、今までは名前を書くのも恥ずかしいとある会社のモデルを使っていた。要するにバッタものというやつで、音が出ればいいや、という程度。そして今までフルートはかなり演奏に苦労していた。しかし楽器が二流品だったので、自分の演奏方法が悪いのか楽器が悪いのか区別がつかなかったのだ。それが今回新しい楽器を購入してみて結論がでた。
 まぁ楽器を買ったということから結論は見えているのだが、楽器に悪い点がかなりあったということがわかった。これまでは散々苦労して音を出していたのだが、そうして苦闘していた音があっさりと出て拍子抜けしたほどだ。ずいぶん時間を損していたんだな、と認識させられた。安かろうで購入した二流品のフルートはお蔵入り。安かろうはやはり悪かろうだった。文字通り安物買いの銭失いだ。
 これで後は個人の技術を上げるだけ、ということになる。言い訳はできなくなるわけだ。

2 Sun - 4 Tue

 休みます。

1 Sat

 去年は自動車通勤だったから毎日のように乗っていたから持ったのだと思うが、今年春からは電車通勤なので平日は乗らなくなってしまった。このためかどうだか、先日愛車のバッテリーが上がってしまい、交換することになった。ものの本によると一般車で3年は持つそうだが、僕のバッテリーは2000年10月のメモが記入してあったから3年半持ったわけだ。
 会社の後輩に自宅に来てもらい、ブースターで起動した。起動したは良いが、やはり充電完了の表示にはならない。後輩に礼を言ってディーラーに向かう。
 ディーラーでバッテリー購入。海外製の純正はびっくりするほど高い。ついでに取り付けもしてもらったので、なおさら痛い出費になってしまった。
 今後も3年半持てば、12,000日程度持つわけだ。一日一円少しの維持費と考えればよいか。そう思いつつ、空の財布を眺める。

April

30 Fri

 つい最近、プライベートで使用しているPCのIMEを変更した。それまではなんと「MS-IME」の一番古いバージョンのものを使用していた。これが実に性能が悪かった。時代で言えばWindows95の時代のIMEだから今から10年くらい前のものを使用していたことになる。文句をいいながら使っていたわけだ。最近のMS-IMEはまぁまぁ使えるものになっているが、この初期MS-IMEはとにかくひどい。学習機能が無いので何度変換を指定しても電源を切るたびにデフォルトの変換パターンに戻ってしまう。複合語変換をしてくれないので、ちょっと長い単語だとまったく変換をしてくれない。熟語の辞書が無いためにちょっと難しい言い回しだと変換が無い。「専念」とか入れようとすると必ず「一〇〇〇年」とかになる。日常で「一〇〇〇年」なんて書くわけないだろ。
 などと言い出せばきりがなくて要するにひどいIMEだったわけなのだが、逆にいえば現代のATOKやMS-IMEはこれらを克服してきた歴史だとも言えるわけだ。最近のIMEはほとんど指に吸い付いて、思考がそのまま指から流れるような感じになるわけだが、この先の進化はどういうものになるのだろう。より思考の先読みをする方向に向かうのだろう。次第に理系・文系の言葉遣いはおろか、言い回しの癖まで習得するようになるのだろう。一部はもうなっているのだろう。
 それにしても驚くのは、IMEの「軽さ」だ。ここまで性能がアップしても全然変換に時間とかかからないが、どういう技術なんだろうと不思議になることしきりだ。海外にはIMEなんて無いわけで、恐らく間違いなく日本が世界に誇れる技術の一つなんだろう。

29 Thu

 コンサルタントという職業がら、文章を作ることが多い。内容と言えば今の時期は技術提案などの文章で、これは結構コツがあることがわかってきた。
 まず文章構成に気を遣う。起承転結なんてよく言われるが、技術提案の場合は、問題の背景、問題点の考察、問題点と対応した対策案の立案、その手順と提出される結果、という具合になろうか。技術者に求められる具体的な内容としては、的確な背景の把握、技術に裏付けられた考察、独創的かつ堅実な対策案の立案、迅速かつ正確な対応、わかりやすい結果としての報告書のとりまとめ、という具合になると思う。
 こうして考えてみると非常に当たり前の内容なのだが、意外にできない。「こんな問題があるんだけど、対応を」と言われると、つい対応を直に考えてしまうものなのだ。そうした対応は、得てして問題点の一部しか把握できていなかったり、自分の知っている範囲でしか答えが出せない結果になる。また、対応は奇抜である必要は無い。相手が求めているのは我々の自己満足ではなく、安価な方法での問題の解決なのだ。確実に技術の裏づけがある上でのオーソドックスな対応というのは、それはそれで金になるはずだ
 まだまだ考察不足だが、とりあえずこうした内容は常に考えて対応していきたい。

28 Wed

 休みます。

27 Tue

 Carole KingのMusicというアルバムを買う。Carole Kingは「つづれおり(Tapestry)」というアルバムで知られる、70年代に全米で大ヒットを連発した女性ボーカリストだ。ほとんどのジャズマンより一般的な知名度は高いだろう。
 分野でいえばポップスになるのだろうか。カントリー風味の入った軽快なロックというか、とにかく心地よい音楽だ。サウンドは自然で、アコースティックなサウンドが主体。
 Tapestryは、71年に発売され、15週チャートで一位を記録し、71年4月から77年1月まで302週間チャートにいたのだという。71年というのは僕が生まれた年だが、僕が生まれてから小学校に入るまでずっとチャートにいたということになり、これは素直にすごい。
 そんなわけでMusicを期待して聴いてみた。良くも悪くもTapestryに似た印象。同じ人間が同じ時期に作ったのだから当然なのだが、作曲のバリエーションが似ているためにどうしても類似した印象は否めない。正に対のアルバムなのだな、と感じた。だからと言って別に悪いとは少しも思ってなくて、これから頻繁に聴くことになるアルバムであろうことは間違いない。

26 Mon

 某県庁で打ち合わせを行うため、電車に乗る。仕事で在来線に乗るのは久しぶりだったのだが、ふと筑波での生活を思い出し、今の打ち合わせのための旅程と筑波から東京へ打ち合わせに出かけたときのことを比較してみた。
 まず職場から駅への距離とダイヤ編成だが、筑波ではJRの最寄り駅に向かうため、20分くらい車を走らせる必要があった。しかも電車は1時間に4本程度。かなり待ちぼうけをくらったものだ。名古屋では会社の机を発って出入り口を出て、エスカレーターで下まで降りて、駅まで歩き、切符を買い、ホームに上がるまでが10分程度か。ダイヤは一時間に12本程度。要するに名古屋の都心は、筑波とは比べものにならないくらいに便利なのだ。
 走っている電車は、筑波の頃は10両編成くらいだったか。それでも、いつ乗っても上野に到着する頃は満員だった。今日乗った電車は4両編成だっただろうか。午前中で都心逆方向とは言え、快速で二つ目の駅を過ぎるとすっかりがらがらだった。JR東海も儲けるのが大変だろうと要らぬ心配までしてしまう。
 目的地までの所用時間は、常磐線ではまず東京都心へ行くのに上野まで一時間、その後地下鉄+目的地まで45分はみこんでおかないと不安だった。トータルで105分。今日は、電車まで歩いて10分、電車に揺られて20分、駅から目的地までが10分というところだろうか。今日の打ち合わせは10時からだったのだが、9時に職場を出て十分間に合った。筑波だったら、霞ヶ関に10時に到着するためには朝の8時は駅に居ないとまずかったから、家を出るのが7時という感じだっただろう。
 しかし、だからと言って筑波での生活が良くなかったなどとは、今でもちっとも思っていないところが我ながら面白い。住めば都だったのだな、と改めて思いをはせた次第だ。

25 Sun

 名古屋の中に大須という街がある。大須観音という神社があるほか、万松寺という織田家ゆかりの寺もある古い街で、商店街があり、電気街も位置している庶民的なところ。東京で言えば秋葉原とアメ横を足して二で割った感じだろうか。大阪なら日本橋界隈が比較的似ていると思う。
 街中の昔からの商店街というと、全国的に郊外大型店舗に客を奪われ元気が無いと言う話があるが、ここだけは例外ということで最近注目されている。そんなことを思い出し、今日二年ぶりくらいに行ってみたが、その変貌振りに驚いた。
 かつては良くも悪くも古きよき商店街に電気街がくっついているという風情だったが、今では古着・雑貨・料理を中心とした若者向けの街に生まれ変わっていた。人出も比較にならないほど多い。
 売っている服は、見たところアジア系、ラテン系、アメリカンカジュアルなど。クレープなどの出店も多いし、アクセサリーなどの出店も多い。ほとんどそんな店に商店街が埋め尽くされて、一部に昔ながらの洋品店などが混ざっている格好だ。
 要するに器は商店街だが、中身が渋谷・原宿風に変わったのだ。New Wine in Old Bottlesと言えるのか。若者が増えるのも無理はない、完全に若者向けになってしまったのかなぁなどとじじ臭いことを考えていたら、驚いたことに万松寺では新しい参道をビルの一階をくり貫いて作り、両側を店にしていた。浅草の参道がビルの中にあるような感じだ。うならされた。すっかり若者向けになったと思いきや、門前町としての伝統はしっかり守っている。目的と手段が商店街の人達にははっきりしているのだ。これはこの街、当分安泰だろうと思った。

24 Sat

 部屋に溢れかえっているCDだが、思いきってケースを処分することにした。代わりにレンタルCDが保管されているビニールと紙で出来たシートに保存することにする。表のライナーは当然一緒に保管するが、裏紙は処分することにした。
 実行してみて、体積が減るだろうとは思っていたがこれほどまでとは思わなかった。300枚弱を処分して見たところ、これまで100枚程度保存していたスペースに収まり、まだ余裕がある。およそ1/3に減少するわけだ。
 今までは30枚単位のボックスが20箱あったわけだが、単純計算でそれが7箱になる勘定で、狭い部屋住人としては大助かりだ。やってみると、何故今までやらなかったんだろうというくらい減少する。
 こうなると余分や欲もわいてきて、部屋も少しはおしゃれにできるかも、などと考えているが、スペースを減らしただけでセンスが良くなるわけではないのは言うまでもない。

23 Fri

 昼食では弁当を注文して食べている。値段は350円と非常にリーズナブルで重宝している。メニューは一ヶ月前にチラシが配布されており、概ね二品程度のおかずに惣菜と漬物、ご飯と味噌汁、という感じ。味は値段相応だが、不味くて食べられないということはない、という程度。良くも無し、悪くも無しというところだが、値段の魅力にはかなわない。たまにカレーがついたりするので、ますますあなどれない、などと結構弁当屋の術中にはまっているのが実情だ。
 そんなわけでそれなりの食生活を送っていたところ、先日警察に手続きで行く用事があった。ここで驚く。午前中に行ったのだが、同じ弁当屋が注文に来ていたのだ。一介の弁当屋かと思っていたら、なかなかどうしてかなり大きなチェーン店らしい。
 そんな認識の下でよくよく観察して見ると、想像は確信に変わった。何しろ一ヶ月前に全てのメニューを決定し、その写真までチラシに掲載して配布する、というのは並の資本でできるものではない。恐らく愛知・岐阜・三重の東海三県には根城を築いていることだろう。また、気前良くふりかけを配布しているのも想像を裏付けて余りある...。弁当箱を開きながらふとそんな経済事情など考えてしまう今日この頃である。

22 Thu

 オプションというものがある。金融業界で使われるもので、権利のことだ。金利が上昇したらとか、思わぬ災害が起こったら、とか、株価は予想がつかないリスクが大きいから、もしそういう事態が起きた時に資産を守るための権利がある。これをオプションと呼ぶのだ。そしてオプションも市場で売買されているという。オプションの定式化はブラック・ショールズ式と呼ばれ、ノーベル経済学賞を受賞したほどの内容がバックボーンにあるらしい。間違っているかもしれない。
 勉強不足でさっぱり詳しい説明ができないが、とにかくそういう金融業界のオプションを実際のモノに応用したのがリアル・オプションと呼ばれるもの。経営学などで、例えば企業を買収したり工場を建てるときにはリスクを伴うけども、そういうリスクを最小化するための分析として使われる。これを土木工学でも使おうという動きがあって、今度仕事で何とかその考え方のエッセンスだけでも使いたい、と勉強している。
 使えたら万万歳で、かなり新しい試みだ。問題はクライアントに提案してこのアイディアが採用されるかどうかなのだが、それこそいくらオプションを使っても何ともならないとは情けない。

21 Wed

 現在借りている駐車場は、立体駐車場だ。よく狭い事務所などにある、二階建ての簡易のやつ。あれの下の段を借りている。上の車を出すときはどうするのだろう、などと考える人もいるかもしれないが、このタイプの駐車場は地下が掘ってあるので、上の車を出すときは下の車は地下一階に下がる構造になっている。
 そんなわけで上の人の車が地上にあるときは下から自分の車がせり上がってくるわけだが、サンダーバードみたいでなかなか楽しい。青空駐車場なのだが、上の車のお陰で雨にも濡れないし、結構いいかも、と思っている。
 唯一の難点は、駐車場の幅が狭いことだ。二階建ての一階なので、二階のための柱が車幅ぎりぎりに存在している。誤差およそ3cmくらいで車庫入れをしないといけないのだが、初めは少々手間取って、サイドミラーを柱にぶつけてしまった。何しろバックで車庫入れで、プラスマイナス3cmで、ほぼ平行に入れないといけないのだ。
 半月が経ち、随分慣れてここ最近ようやく一発で入れられるようになった。こうなるともう困ることは何も無いわけで、青空なのに屋根付きの駐車場の出し入れを楽しんでいる。

20 Tue

 環状鉄道というのがある。文字通り輪になった鉄道路線のことで、東京だと山手線、大阪だと大阪環状線が相当する。役割としては複数の都心を連絡する、あるいは放射状の路線の間を連絡する、というもので、東京や大阪のように街の中に複数の都心がある場合に、それらを連絡する交通需要を担うための存在だ。アルファベットの「O」の字を描く。
 この環状鉄道、長らく名古屋には無かった。JR中央線が環状の南半分を描いているけど、北半分は存在していなかった。ところがこのたび地下鉄で環状鉄道が出来あがることになる。今度の秋だそうで、結構大きなニュースになることだろう。今はほとんど環状だが一部未開通なので、「C」のような形の運転になっている。途中盲腸線が飛び出ているので、どちらかと言えば「F」の字運転といったところだろうか。完成したら「P」の字運転ということになる。
 それにしても地下鉄で環状運転を実現させるとは、関係者の努力を思うと頭が下がる。何しろ莫大な事業費がかかるから、いつ財政難で中止になってもおかしくはなかったわけだ。初乗り料金が高いとか乗り越し定期券精算でもいちいち初乗り料金をとられるとか人口が増加しているのに減便になったとか色々不満はあるが、ひとまずは開通の努力に敬意を表することとしよう。

19 Mon

 以前定期券と回数券の費用対効果分析を行って回数券を買ったわけだが、結局定期券も買うことにした。
 名古屋市の地下鉄は、距離で定期代が決まる。距離は4区分に別れていて、1区〜4区となっている。例えば0kmから4kmは1区、4kmから6kmは2区、という具合に決まるわけだ。
 そんなわけで、購入窓口で自分の定期を申し込んだ。最寄り駅から名古屋駅までは乗換え無しなので、そのルートを書きこむ。窓口の人「3区料金ですけどいいですか?」事前に確認していたので「はい」と返事。
 定期を受け取り、会社に戻りながらしばし考えた。「普通に買えば3区料金なのに、何故確認したんだろう?」...「もしかして」
 購入窓口に戻る。「すいません、他のルートの定期でも良いんですか?」「はい、○○線で○○乗り換えなら2区料金になります。」「じゃあそれを」
 何と、直通で行くと遠回りの分だけ距離が多くなるため、3区料金。乗り換え定期を購入すると距離が短縮されるため、2区料金になるのだとか。ちなみに通常の定期だと経由地は地味な地域を通るのだが、乗り換え定期の場合は名古屋の繁華街「栄」を経由する。二重にお得なわけだ。

18 Sun

 フルートを練習する。当初と比べると随分音が出るようになったものの、まだまだ人前で演奏できるレベルではないが、そんな中でもいくつかのコツはわかった。
 フルートにはサックスのようなオクターブキーが存在しない。息の吹きこみ方だけで音程を変えるわけだが、これまではこれが今一つうまくいかなかった。
 今回練習してみて、結局息のスピードを少し変えれば良いのだ、ということに気が付いた。ゴム管を降りまわすと、音が鳴ることはよく知られている。降りまわす速さを速くすると音は高くなる。これと同じで、吹きこむ息の速さを速くすれば音が高くなるわけだ。
 そうは言っても実践は難しく、感覚的なところを本能的になるまで練習し続ける必要がある。この辺は楽器練習というのは体で覚えるという体育会的なところがあって、なかなかハードなものなのだ。

17 Sat

 インテリアの本などを見ると、気持ちのよい家というのはすっきりと整理されており、余分なものが目に入らないようになっている。中でも、本の背表紙や箱に書かれた文字などは極力避けているようだ。確かに人間は目に入ったものを解釈しようという本能があるから、部屋に文字があるとそれを知らず知らずのうちに読んでしまう。そうした本能が、ごちゃごちゃした印象というものに繋がるのだろう。
 では文字ならすべて文字として解釈し、ごちゃごちゃした印象になるのだろうか。同じ文字であっても、これがアルファベットだったりキリル文字だったりするとあまり気にならないと思う。多分ハングルでも気にならないだろう。気になるのは漢字だけだ。例えそれが中国語であっても気になるだろう。この違いは、当然我々が漢字を読めるからというのが理由で、漢字で書かれたものなら目に入った一瞬のうちに左脳が文字として解釈してしまうからだ。英語やフランス語、ハングルなら一瞬の間がなくて、記号のように感じられる。これが煩雑に感じない要因なのだろう。
 そうなると、文字ならすべてごちゃごちゃした印象を受けるのではなく、脳を動かすものがあるからごちゃごちゃした印象を受けるのだろうな、というごくごく当たり前の結論に至るわけだが、おかげですっきりした部屋に至るヒントがわかった。左脳が解釈しない部屋を目指せば良いのだ。

16 Fri

 とある場所で、道路整備が構想されている。何も無い場所というわけではなくて、すでに道路は存在するのだが整備が悪くて土地の人が不便をしている場所だ。バブル時代は新たに自動車専用道路を別線で整備しようなんて景気の良いことを言っていたが、今は普通の道路改良をちまちまとやりましょうか、という話になっている。
 もちろんそんな道路整備でも、必要性を考えることは重要だ。必要性というと交通量がすぐに思い浮かぶが、交通需要だけが道路の必要性ではない。道路には、空間を形成する機能がある。何も無い原野にコンビニはできないが、一端原野に道路ができたら、その隣にはコンビニができるかもしれない。空間を形成するとはそういう意味だ。こうした効果は間接効果と呼ばれる。地価が上がる、というのはその端的な例だ。
 直接効果というのも存在する。有名なものは、時間短縮効果、走行費用削減効果、事故減少効果があげられる。道路ができたのに事故が減少するというのは速度が上がることを考えると違和感があるが、センターラインが無くて見とおしの悪い道路を利用するよりも、上下線が分離されて見とおしの良い道路の方が事故が少ないのは事実なのだ。
 このように道路整備の効果は多岐に亘る。そのすべてが定量化できるわけではないが、ある程度は定量化できる。定量化した値は貨幣換算されて、事業費と比べられることになる。一本ずつ異なる道路はすべて役割が異なるわけで、それらをどう判断するかが僕の商売だ。

15 Thu

 有名な話で、名古屋は地下街が発達しているというものがある。確かにそれは正しくて、名古屋の二大繁華街「名駅」「栄」の両方に大きな地下街があり、かなりの人でにぎわっている。
 僕は名古屋駅付近の会社に通勤しているわけだが、地下鉄の出口は地下街に直結しており、そのまま会社の手前500mくらいまで地下街は続く。地下街というからには色んな店があるわけで、毎日商店街の中を歩きながら通勤しているようなものだ。
 そんな地下街だが、一年間離れている間に結構店が入れ替わっていることに気がついた。一番大きな違いは、コンビニエンスストアの開店だろうか。コンビニというと、街中にあるイメージがあるから、地下街の一角に埋まっているとなんだか違和感がある。
 昔ながらの喫茶店も存在する。名古屋の喫茶店はコーヒーを頼むとオマケが多いというのは有名な話。しかし地下街は立地が良いのか、そんなにサービスは良くない。そのようなサービス過剰な喫茶店は郊外や下町に行くと存在する。そういう店が、メニューは「あんかけスパ」「きしめん」だったりするから、大名古屋は奥が深いのだ。

14 Wed

 またしてもゴミの話題。名古屋は本当にゴミで考えさせられる街なのだ。
 名古屋に来て10日以上が経ち、ゴミの仕分けにも慣れてきた。以前も書いたが、とにかく資源になりそうなものはすべて「資源ごみ」として仕分けしておかないといけない。「紙」「プラスチック」「缶」「ビン」「ペットボトル」「段ボール」「紙の牛乳パック」などはすべて別々にして、所定の袋に入れるわけだ。このように徹底的に分類すると、購入するものの多くが「紙」あるいは「プラスチック」であることに気が付く。食品の袋などはほとんどがプラスチックだ。こうなると、たかが10日でも「資源ごみ」が結構な量たまることになる。たまる分だけ名古屋市の可燃ゴミは減っているというわけで、慣れればそれなりに気分も良いものだ。
 ところが、このようにして溜まっていく資源ゴミの収集は月に一回だけ。僕の地域では第一水曜日であり、それはすでに終わっている。一回出し忘れると大変なことになるのだ。おそらく大抵の家には、月末になると名古屋市指定のゴミ袋で溢れかえっていることだろう。

13 Tue

 ウィルスメールが大量に届いた。以前も100通近く一度に届いたことがあったが、また同じように大量に届いた。こちらのウィルス防御をしてもメールを防ぐことはできないから、困りものだ。
 そうしているうちに、アドレスに一定の法則があることに気付いた。特定の地域の、特定の職業のメールアドレスが届く。僕はその分野や地域とは無関係に暮らしているが、一人だけメールアドレスに心当たりのある方がいた。恐らくその方がウィルス感染して、その方のメールソフトに入っているメールアドレスを騙り、僕の方にウィルスメールが届いているのではないか...。そういう判断のもとに、一度久しぶりにその方に確認のメールを送ってみることにした。
 解決するかどうかはわからない。もし違ったらとても失礼な話だし、合っていてもその人は被害者なわけで、結局誰もが嫌な思いをする。ウィルスメールとはそういう陰湿なものなのだ。改めて実感させられた。
 それにしてもこんなウィルスソフトを作るやつというのは、本当に性根が腐っているのだろう。ウィルスメールよりも、そんなヤツがこの世にいると思うだけで気持ちが悪い。

12 Mon

 僕は人に技術を提供し、それを購入してもらうことで日々の糧を得ている。技術を売る相手はある程度専門知識のある人間というのが前提だが、売る技術が高度に専門的・あるいはその人にとって専門外になると、その説明が段々難しくなってくる。
 今日は自分が一年間学んだことを報告する場所が与えられた。プレゼンテーションを行うわけだが、内容にはやや経済学の知識が入っている。聴く人間は土木工学を学んだ人達なわけで、この専門知識の差をいかに埋めるかに気を遣った。
 果たして、プレゼンそのものはそれなりにうまくいったように思う。しかしその後の質問時間がいけなかった。
 披露した内容は、とある事業手法に関する現状の問題点の改善策に関するものだったのだが、上司から一般的には発注機関の言うとおりに考えれば良いんじゃないのか、という質問を受けた。これに対して専門知識から思うところをのべたが、相手は一般論について質問していたのが真意のようで、ややピントのずれた回答をして、口論になってしまった。口論はいけない。

11 Sun

 一年前参加していたジャズバンドに再加入することになり、今日が久しぶりの練習日だった。このバンドとは元々先輩の紹介で加入することになった。確か一昨年の秋頃だったと思う。その後一冬一緒に活動し、去年の愛知県のビッグバンド連盟のコンサートを最後に僕はつくば出向によって9ヶ月ほど離れることになったわけだ。それが今回また一緒に演奏することになったわけだが、このバンドの中には見習いたい前向きな空気があって、それがぜひまた一緒に参加したいと思っていた要因だったので、嬉しい限りだ。
 久しぶりの練習は初見の譜面で大変だったが、充実した時を過ごすことができた。そして何よりも、音楽を通じた仕事上の損得が無い知り合いが周りにいる、というのが嬉しい。

10 Sat

 イラクで邦人三人が拘束された。三人の行動は渡航自粛を求められている中での行動がもたらした結果であり、軽率さは否めないとは思う。その一方で、三人の家族の気持ちを思うといたたまれなく、一刻も早い生還を祈らずにはいられない。
 拘束した組織は自衛隊の撤退を求めているようだが、派遣をしてしまった以上自分達の意思以外では撤退はできない。よく言われているように組織間の行動予測というもは繰り返しゲームであり、今回の件で撤退してしまうと、日本人は誘拐さえすれば政府が動く国だ、と思われてしまうからだ。こうなると、返す返すもそもそもの派遣の決定が誤りだったことが悔やまれてならない。
 それはさておき、今回の対応でよくわからないのは報道機関の姿勢だ。報道されている拘束の状況よりもずっと厳しい状況が海外では放送されているが、日本で放送されている内容はソフトな部分のみであるという。なんでも世論に配慮して、組織の過激な行動に対する放送内容を自粛しているとのこと。普段は報道の自由を語るわりには、好きなように放送内容を操作しているのだな、と感じる。理由は何だろうか。世論が自衛隊撤退に働かないようになのか、政府批判と政権危機を考慮してのことなのか。少なくとも現在は、政府のそもそもの姿勢を問う内容は報じられていないように感じる。

9 Fri

 休みます。

8 Thu

 数年前、名古屋市はごみの処分場問題に苦しんだ。それ以来、政令指定都市としては非常に厳しいごみ出しルールがある。
 可燃ごみ、不燃ごみ、缶・ビン・ペットボトルの分別は当たり前。粗大ゴミは有料。プラスチック関連はすべて資源ごみ。ごみ袋は指定の半透明で有料のもの。紙は資源として回収。牛乳パックは開きにして近くの回収ボックスへ。段ボールは基本的に回収すらしてくれず、自分で回収センターに持ち運ぶことになっている。
 その精神は非常に買うのだが、僕のような単身で朝から晩まで働く商売の人間にとって、回収してくれない、というのはつらい。水曜10時に地元スーパーの駐車場で回収しています、と言われても無理だ。というわけで今日は、土日に開催している古紙回収業者をサイトで探すはめになってしまった。一般人がおのおの回収業者に持ち寄るというのは余計な交通も発生するし、かなり無駄だと思うが仕方がない。まあ、何とか探すことができて良かったとしたいが、遠いのが難点。車があるからまだ良いが、車がなかったら引越しの段ボールがいつまでもベランダに居座ることになるわけで、本当に相当深刻な問題だ。僕はまだこんなサイトでぼやいているくらいだから良いが、一人暮しのお年寄りや体の不自由な方はどうしているのだろうか?

7 Wed

 通勤は地下鉄になった。普通は定期券を買うわけだが、回数券カードである「ユリカ」が存在するため、やや迷う。
 定期券のメリットは、期間内ならば何回往復しても定額ということ。マイナス面は、利用区間が決められているから、利用区間から一駅でもはみ出ると清算で初乗り運賃がかかること。あと帰省などしたらその間の利用期間分のメリットは完全に無駄になるということだ。
 ユリカのメリットは、無期限で5000円で5600円分も乗れるという割引率の高さだ。バスに使えるのも嬉しい。マイナス面は、あまり思いつかない。一日に何度も往復する場合は定期の方が有利ということかだから、休日出勤とか多かくて何度も同じ区間を利用するならば不利ということになるだろう。
 そこで、一ヶ月20日往復すると仮定して正規の金額からの割引率をユリカの割引率と比較してみることにした。定期は六ヶ月、ユリカは最高額の5000円で比較する。その結果、
一日当たりの定期券による交通費割引率:0.891={49,200/(20*6*2)}/230={定期代/(20日×6ヶ月×往復)}/正規料金
一日当たりのユリカによる交通費割引率:0.893=5000/5600
 何と、ほとんど同じだった。
 結局どうしたかというとユリカを購入したわけだが、綿密に計算した割に昨日は部屋の鍵を会社に忘れて早速無駄に一往復してしまった。僕としたことが、酔っ払った場合のリスクを考慮していなかった。

6 Tue

 一年ぶりに古巣の職場に復帰した。一日いて、変わったもの、変わらなかったもの、色々あることを感じた。
 変わったものといえば、若干人が減り、少し聞こえる声が減ったことがあげられる。僕の業界は決して景気の良い業界ではないので、これはある程度いた仕方の無いこと。しかし、居ると思っていた人が居なっているのは何とも気持ちが悪いものだ。これも徐々に慣れていくのだろうが、せっかく復帰したので何とか盛り上げていきたい。
 変わらなかったものは、逆に残った人達の様子だ。ブランクがあったのに、いとも簡単に昔からの雰囲気になることができて、不思議にリラックスできた。やはり一年間の別組織での生活は、気付かないところで神経を使っていたのだな、と改めて実感する。
 こうして見ると、変わったもの・変わらなかったもの共に結局人なんだ、ということがわかる。良くも悪くも会社や組織を動かしているのは人なのだ。

5 Mon

 休みます。

4 Sun

 昨日・今日と、部屋の片付けを行う。10数箱あった段ボールがようやく視界から消えて、床が見えるようになってきた。この部屋に来て、最初に困ったのは収納が思いのほか少ないことだ。もちろん承知の上で借りたのだが、当初予想を上回っていた。全体にものが小さい気がする。
 そういうわけで、収納家具の買出しに出かけることになった。台所まわりが極端に不便なので、キャスター付きのエレクターを安く購入。狭い台所周辺をコロコロ転がして移動できる。食料やらポットやら調味料やら入れる。調味料のカゴは100円ショップのものを使ったのだが、これがはまった。これで台所周辺は何とか形になった。
 次に洗濯機・風呂・トイレ周辺。もちろんきちんと機能するのだが、収納が無いので洗剤やせっけんや掃除用具を置く場所が少ない。これはよくある突っ張り棚を購入して対応した。当初は洗濯機の上とトイレの上に一つずつ棚を設置するつもりだったが、トイレの幅が突っ張り棚よりも狭い。次善の策として洗濯機の上に二段重ねて棚を設置した。何だか賢い収納番組を地でいっているような気分だ。
 困ったのはCD収納だ。以前からある段ボールボックスはへたってきたので、新しいものに買い換えたいのだが、何しろCDの量が概算で600枚くらいある。こうなると狭い部屋のことなので全面棚にすると圧迫感必至で、躊躇する。かといって箱に入れてしまいこむのも哀しいし、本当に悩みどころだ。ようやくすっきりした部屋がここだけ汚くて何とかしないといけないが、妙案が思い浮かばない。

3 Sat

 荷物を送りだし、大家さんに挨拶を済ませ、愛車でつくばを後にしたのは午後4時だった。常磐自動車道に乗る。途中、守谷SAでお土産を買い、一路、東京へ。周りの車は心なしか引越し業者のトラックが多い。僕のような境遇の人がそこら中にいるのだろう。
 どうやら首都高速6号三郷線は、三郷から堀切まですべて渋滞で埋まっているようだ。何度も高速バスで体験した風景だが、今回は自家用車なので渋滞を避けて外環を迂回することにした。車は茨城県から千葉県、埼玉県へと移る。
 川口から首都高速へ。中央環状線の王子付近から東池袋へ。ここからは渋滞に会うが、しばらくのお別れとなる首都の風景を目に焼き付けた。
 霞ヶ関のトンネルを越えて、渋谷線に入る。彼方に見える高い山は富士山だろうか。日が沈む中、東名高速道路に入った。
 途中、足柄SAで夕食を取る。平日の宵の口の下り線ということもあり、周りは運送業と思しき人達ばかり。僕のようなひ弱なサラリーマン風はほとんどいない。彼らが僕達の荷物を運んでいるんだろうか。
 その後休み休み走り、最後は浜名湖の隣の新城で仮眠をとった。
 翌朝、名古屋到着。一年ぶりに帰ってきた。一見したところ変わらない懐かしい名古屋に、去年までとは確実に変わった自分がいる。

2 Fri

 休みます。

1 Thu

 ついに筑波の研究所での業務が昨日で終了した。今日は引越し準備で明日は荷物を出し、名古屋に向かうことになる。いい機会なので、筑波の仕事上で得たことを記しておこうと思う。
 一つめは、当初目的だったPFIの知識を得ることができた。日本の第一人者の下で研究活動を行い、二本の論文、昨日の夜中に三本目の論文を書くことができた。一応の到達点であり、少しは成長できたのではないかと思う。
 二つめは、PFIを学ぶ中で関連するいくつかの学問について知識を得た。名前だけを挙げると、金融工学、財政学、ミクロ経済学、マクロ経済学、アセットマネジメント、プロジェクト・マネジメント、DB、PPP、VEといったところだろうか。これらは関連する知識を得た、というレベルでとても突っ込んで学んではいないが、概ねの流れは知ることができた。
 三つめは、さまざまな場所に出かけて得た経験が挙げられる。札幌、青森、米沢、さいたま新都心、霞ヶ関。企業では経団連や三菱総研にも行った。日本経済を文字通り動かす現場を見ることができたのは大きな経験になったと感じる。
 今はこうした経験を挙げることができるだけに過ぎない。これをどう自分の中で消化するのか、問われることになると思っている。

March

30 Tue - 31 Wed

 休みます。

29 Mon

 十年一昔という言葉があるが、オフィス環境はこの10年ほどで劇的に改善されている。電話・FAXは当然のこと、現在ではE-mailによる連絡は当たり前だし、E-mailでの添付ファイルが不可能だった巨大なファイルの交換も楽にできるようなご時世になりつつある。おそらくこれだけで生産性は10年前の5割増になっていると言って過言では無いだろう。例えば都市と地方との情報バリアというのは確実に縮小していると言える。
 そんな中、視覚に障害のある老人の方と連絡を取り、印鑑をいただく必要に迫られた。確認したところ、その方はメール環境は整っているとのこと。音声読み出しソフトによって他との連絡を取っているという。
 電話番号を知らない僕としては、ひとまずメールで確認をとり、電話番号を教えていただいてから印鑑をもらうための資料を送る旨説明し、実際に印鑑をもらう、という段取りになるわけだ。そんなに手間でもないわけだが、E-mail中心の生活に慣れてしまうと実に大きなバリアが存在することに気が付く。そしてそんなバリアに普段から向かい合っている人が存在するわけで、情報伝達手段が多用であることの重大性を再確認できた。

28 Sun

 おしゃれな部屋づくりという関係の本がたくさん売っている。たくさん売っているからには、そうしたくても出来ない人達がもっとたくさん存在しているということなのだろう。かくいう僕もオシャレな部屋にしたいと思う一人であり、そしてなかなか出来ない一人であるわけだ。
 そうした本は大まかに分類できると思う。独断で4つに分類すると、とても手が出ない別荘みたいな部屋自慢、おしゃれな欧米の部屋紹介、狭い部屋のアイディア収納術、メルヘン好きの自分大好き手作り雑貨紹介、といったところだろうか。どれも僕にとっては帯に短し襷に長しという感じだ。別荘みたい部屋は僕の収入と折り合いが悪い。欧米の部屋はセンスは悪くないが生活スタイルが違う。アイディア収納術はそもそもモノを捨てるのが先決だと思うし、メルヘン好きの部屋はまったく好みとして論外だ。
 こうして見ると、僕のような30代の一人暮しが参考にできるインテリア雑誌は意外に少ない。悪くないのもあるけど、どこか気取ったところが感じられてしまう。もう少し庶民的なのがいいんだよな...とぐちぐち言っていたところ、100円ショップの雑貨を加工するサイトを発見。偉そうに雑誌に文句を付けていた割にしばらく楽しんで見てしまって、我に返ったあと結局こういうレベルなのか自分は、と悲しくなった。

27 Sat

 羽田空港から浜松町に移動するとき、モノレールを利用して、これが初めてのモノレール体験だった。飛行機が遅れていたこともあり、疲れていたので乗ったことそのものに大きな感動があったわけではないが、これまで知識としてしか知らなかった交通機関を実感できたのはありがたいことだった。
 モノレールは、中規模交通に勝る交通システムとして位置づけられる。鉄道ほど大規模ではないがバスよりは多いという、そこそこの需要を満たす軌道系の交通機関だ。名前どおり一本(モノ)のレールを利用するのだが、鉄道に比べてカーブやアップダウンなどの線形が比較的自由だということが特徴となっている。
 利点ばかりではなく、制約もある。軌道系はバスとは違って軌道を建設するための費用がかかるから、安定した需要が無いと困る。また、あまり需要が多くてもさばききれない。そういう意味で空港輸送は鉄道ほどではないが、そこそこ安定した需要が見込めるし、高さ制限のある空港付近は線形の制限が厳しいから、線形の自由度が高いモノレールは理想的な環境にあるわけだ。
 昨今要らない社会資本が多いと言われるが、これなどは正に作って良かった社会資本の代表的な事例と言えるだろう。

26 Fri

 今までにも何度か飛行機を利用したことはあったのだが、今回初めて羽田空港を利用した。日本最大の空港だけにどんなものか、と思っていたが、非常に雑然としているというのが第一印象だった。
 何しろごった返している。あわただしく食事をする人達、時間待ちなのか所在無さげに座っている人達、再会を喜び合う人達...。おそらく新幹線が無い時代の長距離列車のホームはこんな感じだったのだろう、としばし感じた。
 あまり空の旅という感じではないなぁ、と思ってよく考えたら、空港の建築がどうも庶民くさい気がする。恐らくこの空間が、雰囲気の形成に一役かっているのでは、と思った。
 これを良しとするかは人によって違うことだろう。僕としては、庶民的なのも結構なんだが、やはり旅は特別感があってほしいと思う。そう言えば、名古屋空港・成田空港・新千歳空港など、これまでに見た空港の出発ロビーは、いずれもこれからの特別な旅をいざなう雰囲気を出していた。言ってみれば外国の旅客ターミナルの雰囲気を感じさせていた。羽田空港の建築は最近のものだし、これは建築の新旧ではないようだ。国際線があるか無いかの違いなんだろうか。
 よくわからないが、例え国内線メインであっても、旅の入り口は特別な空間を演出して欲しい。それでこそ次の旅行への希望も出てくると言うものだと思う。

24 Wed - 25 Thu

 休みます。

23 Tue

 近日青森に行くことになっているが、予定が変更になって日帰りが宿泊になった。
 すでにチケットレス決済を終えていたのだが、変更を行うことに。ネットで試してみる。
 決済済みなのか時期が近いせいなのか、変更はインターネットではできないとのこと。フリーダイヤルに電話をする。
 「あのー、JAS○○便を変更したいんですが。」「はい、少々お待ちください。お名前は?」「○○です。」「確認できました。どういったご変更でしょうか?」「キャンセルして、前日の○時発の△△便に変更したいんですが」「かしこまりました。完了しました。ありがとうございました」「え、もう終わりですか?」
 あまりにすんなりと早いので、田舎者丸出しで思わず尋ねてしまった。
「はい、完了です」「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 あっさり変更完了で受話器を置く。直後にサイト上から予約状況を確認したところ、何とweb上でも変更内容が反映されていた。当たり前のなのかもしれないが、感動してしまった。

22 Mon

 つくばに住んでいることを話すると、「筑波科学万博行ったことあるよ」という返事を色んな人から聞くことがあった。調べてみたら筑波博は19年前のことだったらしい。
 その当時の会場だった公園に先日行ってみた。工業団地になっていたその一画は、会場のシンボルだったらしきゲートがあるほかはきれいな公園になっていた。長方形で落差10mくらいの高低差があるすり鉢状で、中央は池になっている。当時は遊園地が周囲にあったらしいが、今は工業団地が立ち並ぶばかりだ。
 この公園は第一会場で、現在僕が住んでいるつくばセンター付近は第二会場だったらしい。今でもH-IIロケットのレプリカ(本物?)が公園の中に展示してあり、「学園研究都市」つくばのシンボルになっている。
 他にも当時の思い出は意外につくば市内に残っていて、臨時駅「万博中央駅」は最寄駅である「ひたち野うしく駅」となっている。また、駅とつくば市内中心には交通量のわりに大げさな立体交差が二箇所あるが、これも万博の輸送対応土木工事の名残だろう。

21 Sun

 幼い頃、僕にとって土曜の夜は特別な夜だった。夕食後の一家団欒が楽しみだった。夏ならござを敷いてすいかをかじり、冬ならこたつに入ってミカンを食べて。土曜日は普段より少しだけ、一時間ほど夜更かししても許される夜だったのだ。その一時間は僕にとって貴重で、眠くてもなんとか寝ないようにしようとしたものだ。
 当時、我が家では土曜の夜にコーヒーを飲む習慣があった。当時は苦くて口に合わなかったが、家にあったサイフォンのついたコーヒーメーカーでコーヒーが沸く様子が面白くて、それが見たくて苦いコーヒーを飲むことをせがんだものだった。そうして飲んだコーヒーは、夜更かしの喜びとあいまって少しだけ大人になったような気がしたものだ。
 かたわらにはテレビがあり、定番の番組を見て、大笑いをしていた。そして大笑いのあとは寝床について、翌日も休みで遊べるなんてなんて素晴らしいんだろう、と考えたものだった。
 コメディアンのいかりや長介さんが亡くなった。幼い日の土曜の夜を思い出した。合掌。

20 Sat

 三寒四温とはよく言ったもので、つい先日はコートなどいらない位の暖かさだったが、今日は雨でとても寒かった。ふと外を見ると雪まで混じっている。名古屋ではいくら寒くてもこの季節に雪は降らないから、珍しく感じて、ふと思い出した。
 フォークソングで「なごり雪」という名曲があるが、今ごろの季節での東京での別れの唄だ。ああこういう状況なんだな、と実感できた。
 場所が唄を作り、その唄を聴いた人が、唄を思い出すことでまた場所を感じることができる。素晴らしいことではないだろうか。

19 Fri

 卒業シーズンということで、久しぶりに中学時代を思い出した。そういえば、音楽を始めたのは中学二年生だった。その年にブラスバンド部ができて、何となく入部したのだ。しばらくユーホニュームを吹いて、テナーサックスに替わった。
 当時演奏した曲の一つに、「バラの謝肉祭」という曲がある。ほとんど無名だと思うが、吹奏楽団向けのオリジナル楽曲で、ちょっとロマンチックな序曲だ。当時とても好きな曲だった。
 曲はカーニバルの幕開けを表現する金管楽器のアンサンブルから始まる。続いてクラリネットを初めとする木管楽器が踊り出し、全員で優雅にダンス。ここまでがカーニバルの序章で、いよいよカーニバルは本番の幕を開ける。トランペットのファンファーレと共に、優雅な舞踏会が始まる。ダンスの幕間に見える人間模様。恋に落ちる男女、恋に破れる男女。悲喜こもごもの中、カーニバルは終わりに近づく。
 憂いを帯びたホルンの響きが一夜の夢の終わりを予感させる。そしてカーニバルは大団円に向かう。高らかに舞うトランペットの音色と交錯する木管楽器のメロディ。正に一夜の夢として、バラの謝肉祭は終わりを告げる...。
 さぞや素晴らしい曲なのだろう、と思うかもしれないが、実際はそんなに大したことがない。正直言って、久しぶりに音源を聴いたら今の僕の耳には単なる秀作に過ぎなかった。
 決して悪い曲ではないし、中学時代の思い出の曲なので思い入れはあるのだが、今聴くとどうしても絶賛する気持ちにはなれない。僕自身の成長なのか退化なのかよくわからないが、人の意識が変わることだけはこの曲を聴いた感想として実感ができる。

18 Thu

 10:30、お江戸日本橋に到着。徒歩で大手町の打ち合わせ場所に行く。ちょっと早く着いたので、神田方面に歩き、鎌倉橋から日本橋川を眺めて時間をつぶす。どうやら今日は雨になりそうだ。
 ようやく時間になり、打ち合わせ開始。打ち合わせは昼になっても終わらず、そのまま昼食を食べながら打ち合わせを続けた。なかなか興味深い内容で、議論は尽きなかった。昼一番に次の場所へ向かうことにする。
 大手町から歩いて、神田橋の近くの打ち合わせ場所に向かった。既に雨が降っていた。歩くうちに、彼方に江戸城の城壁が見えた。日本橋川を見つつ、打ち合わせ。午前中の下打ち合わせの内容を、今回の相手に確認する。現場の話は参考になった。15:00に切り上げて、さらに三番目の打ち合わせ場所に向かう。次の場所は半蔵門近くの番町。番町は初めて訪れる場所だった。初めて訪れた番町は、きつくないけども坂が多いというのが第一印象。しとしとした春の雨の中を目的地に向かった。夕方17:00を過ぎて、三つめの打ち合わせが終わる。帰りは半蔵門から桜田門を経て、有楽町に向かった。ちょうど江戸城を一周した格好になった。
 ...ここまで、今日の一日をあえて地名だけ示して書いてみた。地名だけ見ると、まるで江戸時代の侍のような一日だ。
 東京という世界有数の近代都市の地名が、こんな風になんとも古風なのが面白い。書きながら気付いたのだが、あくまで地理的な名称ではなくて都市活動やかつての暮らしを彷彿とさせる地名なので、江戸情緒を感じるのだろう。

17 Wed

 イタリアの都市づくりに関する講習会を聴講する機会があった。紹介されたのは絵に描いたような美しい街だった。中世の旧市街とそれを取り囲む新市街で構成されており、中心部の旧市街には車が入り込むことができない。人々は歩いて生活し、広場ではオープンカフェが設置され、週末には市場が開かれ、日常の買い物は近くの雑貨屋で...という生活だった。日本で言えば昭和30年代の生活だろうか。
 特別な街ではなくて、ごく普通の、どこにでもある街なんだそうだ。そんな普通の、しかし美しい街でゆったりとした生活をおくる。少し前に流行ったスローライフという概念だが、それを地でいっているわけだ。
 日本はどうだろう。特に最近は自由競争主義がはびこり、「勝ち組」「負け組」なんてイヤな言葉が普通に語られるようになった。この言葉は苦しい中で生きる人間の尊厳を無視した言葉で大嫌いだ。
 今回紹介されたイタリア人達は、日本人よりも少し不便だけども、豊かな生活をしている。どちらが幸せなんだろう、生きていく上での幸せとは何だろうと考えてしまった。
 街づくりというのは決してハードの土木工事の話ではない。街づくりとは、生き方を設計することと同じ意味があるのだ、と認識させられた。

16 Tue

 また青森に仕事で行くことになった。前回は行きは新幹線と在来線特急を乗り継ぎ、帰りは寝台列車を利用した。比較的時間に余裕があり、何より安かったのだ。ところが今回は航空機の予約をした。なぜなら時間が欲しかったからだ。夕方近くまで青森で仕事をして、翌日つくばで午前中にはいないといけない。検討の結果、往復航空機となったわけだ。
 行きは、羽田を10:25に出て青森には11:35に到着する。これはつくばから出発する日程としても余裕がある。
 しかし帰りの便は適当なものがなかった。夕方17:00頃だと早すぎる。その次は青森空港を20:45に出て、羽田空港に22:00に到着する便しかない。結局これを選ぶことになった。羽田に22:00だと、品川には23:00くらいになる。つくばに着くのは日をまたぐことになりそうだ。最後の最後で、えらい強行日程となってしまった。

15 Mon

 つくば市は筑波・矢田部・豊里・桜・大穂・茎崎という6つの町村が合併してできた市なので、市役所にいかなくても旧庁舎が出張所として残っている。必要なときは近所のものを利用するわけだ。今日の昼休み、引越し手続きのために職場の近くにある旧大穂町役場である大穂出張所に出かけた。
 そういうわけで、当然のことながら大穂出張所はそのまま役場として建物が残っていて、出張所と名乗るには不相応な、なかなか立派な建物だ。建物に入る。さすがに機能が縮小されているのか、現在は部分的にしか使っていないようで薄暗い。
 それでも人がいるから空調も要るだろうし、掃除もするから維持費もかかるだろう、もったいない話だよな、と思いつつ手続きを済ませた。
 そういえば、以前行った桜出張所も、現在の筑波市役所である旧矢田部町役場もなかなか新しい立派な建物だった。そう考えると、つくば市というのはかなり最近にできた市なのだろう。
 昨今市町村合併が進められているが、つくば市など正にその先駆けになるわけで、テストケースとも考えられる。では合併の効果はあるのか、というのが興味のわくところだが、つくば市に住んでいる限り行政サービスに不満は無いし、これで一般管理費が減るのであればかなり効果が大きいのだろう、と単純に思う。

14 Sun

 国土地理院で立体地図展というものを開催していることを知る。今後の仕事の参考になるかも、と見に行ってきた。要するに立体模型展である。立体模型に実際の地図や航空写真などを貼りつけてあって、なかなか見ているだけで楽しいものだ。
 その中の一つに、三宅島の噴火前・噴火後の立体模型が展示してあった。数年前に噴火して、火山ガスのために現在も全島民が避難している島なのだが、最近ようやく沈静化の方向にあるらしい。
 噴火前の模型は、要するに富士山のようなきれいな円錐形の孤島だったのだが、現在はその頂上が驚くほどえぐれている様子がわかり、本当に驚いた。
 富士山も頂上は少し窪んでいるが、あんなものではない。窪みの直径は山全体から見たら不自然に大きく、その深さは海面と同じくら深い。そして山頂から噴火口に至る角度も、ほとんど鉛直に近いほど切り立っている。良い例えが思い浮かばないが、「周囲がなだらかな臼」のような形になっていると言えばわかりやすいだろうか。月並みな言葉だが、自然の驚異を思い知らされた。

13 Sat

 長い間コンビニ食だったのだが、年明けあたりから卒業し、夕食は部屋の中で簡単な調理をして済ませている。偉そうに書きつつ、実態は調理とはとても言えない、暖めたりたまに炒めたりする程度なのだが、徐々に「調理度」を向上させていきたい。
 メニューを晒すのは恥ずかしいが、書いておこう。当初はレンジ食品+野菜、という感じだった。もちろんそういうものがベースにあるのだが、その後吸い物がコンスタントに(インスタントだが)入るようになり、乏しいおかずも3回に1回くらいは調理するようになってきた。食材も調味料も徐々に増えてきた。
 名古屋に転勤したら帰宅時間が遅くなるのは必然なので、このペースがどこまで続くのかはわからない。また元に戻るかもしれない。
 ただ、こういう生活もしていた、というのはのちのちの経験にはなるだろう。

12 Fri

 Modern Jazz Quartetというグループがある。リスナーには昔から人気があるのだが、不思議とコンボ系のジャズマンにはそれほど人気ではない。アレンジ過多というイメージもあるのかもしれないし、ジョン・ルイスのノーブルなイメージも逆に作用しているのかもしれない。結局のところデューク・エリントンと同じ食わず嫌いなのかとも思うが、実際のところはわからない。
 そういうわけで久しぶりに聴いてみた。取り出したのは「Europian Concert」。二枚組で、絶頂期のライブ盤として高名である。
 やはり猛烈にスィングしていることがわかる。何しろ元々はディジー・ガレスピーのバンドにいたのだから当然だ。確かにかなりアレンジが多いのは否定できないが、それが良い方向に作用しているバンドだと思う。恐らくライブではかなり自由だったのではないだろうか、と想像する。
 晩年のインタビューを読んだことがある。曰く「練習?ほとんどしないね」「毎日演奏しているからね」
 余裕の奥に感じられるすさまじい努力が印象的だった。

11 Thu

 つくばに来て驚いたことの一つに風の強さがある。もう春何番なのか知らないが、今日も風が強かった。ただ強い風なら伊勢だって名古屋だって東京だって吹くわけだが、つくばの風で驚くのはその風によって巻き起こる砂埃だ。
 伊勢だと水田の方が多いし、山もあるからこんなに砂で煙るようなことはなかった。名古屋や東京ならアスファルトで覆われているからもちろん砂埃など舞わない。しかしつくばは違う。何しろ砂塵とはこういうものなのか、と実感できるほどに砂が舞うわけで、畑の多い土地柄を実感する。我々サラリーマンにとっては愛車が汚れて洗濯物を干せない程度の被害だが、よく知らないが農家の人は大変なんじゃないだろうか。
 今日もそうした風の中を通勤して、職場のあるビルの窓からふと外を見た。窓の外は畑で、もちろん彼方が砂埃で霞んでいる。違う位置の窓から外を見ると、いつもならはっきり見えるはずの筑波山が見えない。何しろ普段なら岩肌まで見えようかというくらいくっきり見えるので、さすがにこれには驚いた。
 そんなすさまじい風だが、風の匂いに春を感じてもいるわけで、季節の風物詩と考えれば嫌になることもない。

10 Wed

 道路構造令という政令がある。道路法という法律に基づく、道路の規準だ。僕達道路設計屋にとってすべてにおいて拠る規準、というレベルのやつだ。
 この政令が、20年ぶりに改訂された。20年前というと昭和50年代なので、オイルショック後の低成長時代以来、ということになる。業界では大ニュースだ。
 当時は何だかんだ言って自動車全盛時代で、政令もそういった時代背景に即していたわけだが、平成の改訂では歩行者優先、環境重視、景観重視という世の中の流れに対応した改正になっている。
 それだけ変わってなかった、となじることはたやすいが、とりあえずは前向きな方向で改正されたことについては技術者の端くれとして歓迎したい。
 で、ここからいつも通り俗な話題になる。先日立ち寄った本屋ではこの政令に関する解説本「道路構造令の解説と運用」の新版が販売されていた。何しろ僕の業界では、僕が社会人になった頃から出る出る、と言われていて出ていなかった代物なので、値段も見ずに則購入。生活の糧なのだ。
 この生活の糧、値段が税込み価格で8,400円。レジで目を疑った。危うく「すいません、買いません」と言いそうになった。

9 Tue

 引越しに伴い、ライフラインの停止・確保を行う。
 まず茨城県のライフラインを扱っている東京電力、東部液化ガスに引越し日時と新住所を伝え、停止をお願いする。そして引越し先の名古屋市を管轄する中部電力・東邦ガスにも引越し日時と新住所を伝え、今度は開設をお願いする、で一丁上がり。
 電話は少し手順が異なる。NTT東日本に回線停止を連絡せず、いきなり転居先のNTT西日本のサイトから手続きをする。こうすることでNTT西日本からNTT東日本に移動の連絡が入ることになるらしい。ADSLは東西でサービスが違うから入りなおしになる。僕はモデムをレンタルしていたので、NTT東日本にモデムを返却し、改めてNTT西日本から借りることになった。
 そんなわけで、同じ地域内の引越しなら転居だけで済むのが、地域を管轄する会社が変わるから結構面倒くさい。細かい話をするなら、すべて新規料金が負担となるわけで、塵も積もれば大きいわけだ。
 それもこれもライフラインが分割民営化されているからなのだが、一年で東西を往復する立場にとってみたら民営化の効率化も痛し痒し、と思えてくる。

8 Mon

 ソファを売ることにした。原因は、もちろん引越しである。今度引越しする名古屋の部屋が決まったが、現在の部屋よりも狭いのだ。このため、ある程度家具を処分しようと思ったのがそもそものきっかけだ。
 部屋を見渡してみると、現在、机が一つ、ちゃぶ台が一つ、ローラックが二つ、小さい本棚が一つ、カラーボックスが二つ、ベッドが一つ、ソファが一つある。
 机は、数少ない勉強の機会に使う。ちゃぶ台は、今現在使っている。ローラックは、数少ない高い買い物であるオーディオが置いてある。本棚とカラーボックスは、捨てられない本で埋まっている。ベッドは、ぐうたらな自分には欠かせない。ここまで、どれも必需なわけだ。となると、検討されるのがソファなわけである。
 このソファ、実は上司が名古屋から大阪に転勤する時に要らないから、ともらったものである。ジャズ映画に出てくるようなカッコいい部屋を目指してもらったのは良いが、自分の日本的ライフスタイルには合わず、大きすぎる物置の役割にしかなっていなかった。
 というわけで、せっかく譲ってくれた上司には申し訳無いが、今回売ることにした次第だ。言い訳がましいが、上司も要らないから僕に譲ったわけなので許してくれるのではないだろうか。
 こうした思考の元に冒頭の結論に至ったわけであるが、目下の関心事は、早くもいくらで売れるか、である。特に悪いことはしていないはずだが、何となく後ろめたい気がしないでもないのは否定できない。

7 Sun

 青い列車が青森駅に現れたのは夕方の6時。青森から上野に戻るときに、寝台列車「あけぼの」を利用した。
 夕食と酒を買いこんで、個室寝台車に乗る。列車は日没と共に出発。個室はとても狭く、一畳くらいの空間しかない。天井も低くて、立つことはできなかった。ちょうど、一人分のテントにいるような気分だ。
 それでも座ってお酒を飲みながら、雪の車窓を眺めるのは乙なもの。室内灯を消すと、外の風景がよく見える。しばし幻想的な雪景色を堪能した。
 列車は走る。青森から弘前、大館...。碇ヶ関なんていう地名もあるんだ。途中、信号待ちで小さな駅に停車した。ふと駅前ロータリーを見る。列車の到着を待つ車の列が目に入った。列車の到着を待っているのだろう。雪国だから歩いて帰るわけにもいかないしな、と、ほんの少しだけ雪国の生活を覗いた気分になる。同時に、雪国の情緒を思うのはたやすいが、実際のところは苦労の連続だろうな、とも思った。
 僕には具体的な苦労の中身がわからないが、こうして雪国を訪れた数少ない経験は少しでも今後の仕事に役に立つのだろうか。しばらく車窓を見ながら自問自答をした。

6 Sat

 休みます。

5 Fri

 冬季の道路についてどう困っているか、体に障害を持った方から話を聞く機会があった。
 二人の方に話を伺った。一人は足が不自由で車椅子の生活の方。もう一人は目の見えない方だった。
 車椅子の方は、積雪時は雪のために家の扉が開かない、外に出ても積雪のために車まで辿りつけない、ということだった。最近はバリアフリー工事などで階段の隣にスロープを付けたりするのは当たり前になったが、さらに積雪というバリアが生じると事態は深刻なのだ、と認識させられた。
 目の見えない方は、情報への到達が困難だという話だった。最近多い「インターネットで募集」などとあっても、サイトのアドレスがわからない場合が多い。IT時代であればこそ情報に到達できない人への配慮が必要ということだ。
 雪の降ったあとの歩道を歩くことに対しては、除雪をどうするといった件についてはもちろんだが、そもそもの話がある、ということだった。それは実に単純なことで、歩道に物を置いてもらっては困る、という話だった。これは雪が降る降らない以前の問題で、マナーの問題である。やれハード整備だ、ITだ、という前にマナー向上だけで世の中は随分過ごしやすいものになるのだろう。

4 Thu

 休みます。

3 Wed

 研究所での生活もラストコーナーに差し掛かってきた。春からの生活のことも考えないといけないし、研究成果もまとめないといけない。まあ、お前何やってきたんだと言われない程度には勉強してきたので、研究成果については大丈夫だろうが、まとめがうまくいかないと締まらない、逆にまとめさえ上手ければそこそこに見える、というのはあるので、これから数日が気合の入れどころではある。
 さて、一年間研究所にいたわけだが、この一年間のサイクルは大学生の卒業研究に近かった。四月に研究室に配属になり、専門知識も無いままに色々な勉強をして、秋頃にスパートをかけ、冬にどたばたとまとめる。経験ある人ならわかるだろうが、かなり見通し良く効率的にしないと時間が足りない。特に今回は、これまでの仕事の内容とは全く違う分野について、自分で研究テーマを見つけて研究することになったので、なおさらだった。
 実際はと言うと、やはり予想通り、どたばたとあっという間に過ぎてしまった、というのが正直な感想だ。
 ところで、事前にはだらけてサボってしまうんじゃないか、と自分が心配だった。そんなに自分に厳しい人間ではない自信があった。結論はと言うと、こちらも見事に予想通りだった。
 サボりの内容だが、学生時代のようなジャズをしておおっぴらにサボっていたのではなく、本来研究すべき課題とは別の関連分野の勉強にもちょっと手を出した、というものだ。まあ、研究成果に直接には役立っていないが、発想の面で影響していると思うし、次からの仕事にも役立つだろうということで不問になるかな、と自分をごまかしている。

2 Tue

 気付いたら、右手の親指の付け根、手の甲の側にタコが出来ていた。赤ちゃんが指しゃぶりをしたりするとできる、あれだ。あいにく指しゃぶりする習慣は無いので、原因は他にある。すぐに気がついた。
 ここ一ヶ月ほど毎日のように時間を作ってアルトサックスの練習している。アルトサックスの右手は、親指でサックス全体を支え、残りの四本の指でフタをして音を変化させる。右手の親指の先はフックで支えられているのだが、付け根はサックス本体に当たっていた。肌が毎日金属に触れているので、硬化してきたのだ。マイルス・デイヴィスやフレディ・ハバードの写真を見ると、唇にトランペットのマウスピースの形がついているものがあるが、それと同じようなものだ。まぁ、彼らと同じに論じては申し訳ないわけだが...。
 このタコ、別に痛くは無い。心配もしていない。学生時代に毎日のようにサックスを吹いていたときもこんなことになった覚えがあるからだ。ただ、触るとがさがさしてあまりきれいなものではない。まあ、サックスを吹いた跡が体に残った、と言えるだろう。下手の横好きの勲章、練習熱心なんだ、と思うことにした。

1 Mon

 昨日の続き。徒歩10分の部屋に決めた。で、今日不動産屋に電話したところ、「もう両方の部屋とも決まってしまいました」とのこと。何てことだ。
 土曜日の昼に見て、日曜日に考えて、月曜日の朝に電話したらもうアウトとはどういうことだ。こんなことなら日曜日に決心して電話しておけば良かったとか思うが、後の祭だ。一昨日の金と時間が全く無駄になったわけで、腹立たしいがどうしようもない。何しろ4月からの部屋が無いのだ。部屋を決めないことには引越しの日取りも決められない。
 電話は続く。「次いつ来られる日がありますか?」おいおい簡単に言うなよ。タダなら何度でも通ってやるが、いかんせんつくば市と名古屋市は遠い。時間にして片道4時間、お金にして数万円なのだ。残念ながらそんなに躊躇せず出せる金額じゃない。
 しかし行かないといけないわけで、何とか安くつくば−名古屋を往復したいわけだ。どこでもドアが欲しい、と30代の男は本気で思っている。

February

29 Sun

 名古屋に行って、部屋を実見してきた。二つに絞ったが、悩むところ。
 一つ目は9畳。新しい。駅から徒歩3分。一階で、日当たりが少し悪いが、ちゃんと入る。駐車場を含めて、前回の部屋より高い。台所は三畳。
 二つ目は11畳。築10年程度。駅から徒歩10分。三階で、日当たりは良い。駐車場を含めて、前回の部屋より安い。台所はニ畳。
 一長一短があって、決めづらい。不動産屋もなかなかにくい物件を出してきたものだ。両者で違うのは、駅からの距離と日当たり。高い方は近いが、日当たりが悪い。安い方は遠いが、日当たりが良い。どちらも広さは申し分なく、程度も良い。水廻りその他も問題無さそうで、大通りに面しているとかそういうこともない。要するに決めがたいわけだ。
 と言いながら、書いているうちに整理されてきた。結局、値段と日当たりと一階という立地を犠牲にして、駅からの近さという利益を買っても良いか、という問題なわけだ。
 駅までの時間は7分×1往復・一日である。一ヶ月で20日出勤するとして、7×2×20=280分余分に歩くことに対する値段なわけだ。その分寝られる、という利益もあるわけで...。
 一度決めたら変えられないのが賃貸の値段。確実に毎月支払うわけで、まったくバカにはできない。お金は大事だよ、なのだ。

28 Sat

 今年はつくばと名古屋を往復することが多い。大体月に一度は確実に往復。ときには二度、三度往復することもありうる、というペースで往復している。実は先週も往復し、今日も往復してきたところだ。
 こんなに往復すると、車窓を眺めているのも飽きてくるわけで、自然に読書したり寝たりすることが多くなる。
 大抵は惰眠をむさぼっているが、目覚めているときもあるわけで、新幹線車内の様子についても、傾向がわかってきた。一つ気付いたのは、旅慣れている人でも富士山を見ると、一瞬動きが止まる点である。日本人なら誰でも知っているあの山稜が見えると、皆なぜか何かしらの感情が動くようだ。人によっては多いに喜ぶ。
 今日も富士山は見えた。富士山を見て、誰もがおお、と感情を変化させる。喜ぶ。じっと見つめる。こういう何気ない行為というのが、国民の共通体験になって、国への愛着なんて大層なものの下敷きになるんだろうな、などと考えた。
 ちなみに、富士山は新冨士、三島、小田原付近で見える。また、上り電車の場合は、掛川→静岡間で、天気が良かったら海側からでも見える。

27 Fri

 つくば市の他にない特徴として、研究機関が多いことが挙げられる。研究機関というのは、やはり何かと打ち合わせとか学会に出たりとか、意外に行動的であり、決して研究所の中でこもって研究だけしているわけではないのが一般的だ。研究機関にも色々あるが、つくばは国の機関が多い。国の機関だと、自然に東京へ出かける機会が多くなるのは避けられない事実だ。
 ところが、つくば市には公共交通機関が現在に至るまでバスしか存在しない。つくばエクスプレスが建設中だが、これは平成17年完成なんだそうだ。仕方なくつくば市民は代替の交通機関として高速バスを利用している。そんなわけで、かく言う僕もつくば市に来てからもう数え切れないくらい高速バスに乗ってきた。
 ところが高速バスというのは、混雑する首都高速を通るから、時間通りに到着してくれないのが難点。時刻表はあるが、有名無実なのが実態だ。今日も東京で10:30に打ち合わせがあって、つくばから高速バスに8:00より少し前に乗ったら、2時間かかってあやうく打ち合わせに遅刻しそうになった。つくばと東京は50kmしか離れていないから、時速25kmじゃないか。
 ここまで来ると、根本的に街作りの発想がおかしいと思う。発想した人が交通に対して無知で、街作りには外部との交流手段が必要だ、という概念が無かったのだろう。
 最近聞かないが、バブル期には首都機能移転が議論された。現在は下火だが、つくばの事例を見ると、第一に交通機関の整備が必要なことを身を持って痛感する。

26 Thu

 僕は持っていないが、環境DVDというのが存在する。主に欧米の、綺麗な風景が映像で放映され、ボサノバとかそういう類の音楽が流れるDVDソフトのことだ。おそらくNHKで放送されている「名曲アルバム」のようなものと想像する。確かに綺麗な映像というのは見てみたい気はしないでもないわけで、「癒しを求める時代」のニーズに応えているのだろう。
 この映像だが、日本の風景はあるのだろうか。富士山、白神山地、屋久島、北海道など、自然風景ならありそうだ。では、都市はどうだろう。空撮とか、夜景ならあったと思う。では、地上の、日常の映像はあるのだろうか。よく知らないが、おそらく京都や奈良の観光地あたりは存在するのではないか。東京は微妙だが、少なくとも家庭でボサノバを聴きつつ原宿や渋谷の風景を観ても楽しいとは思えないから、あったとしてもお台場とか浅草とか、そういう場所だろう。
 絶対に無いと思うのは、地方都市だ。例えば名古屋・水戸・新潟の画像が流れる環境DVDなんて、あったらそれはそれで面白いと思うけど絶対無いだろう。何故無いのか。要するに日本の都市は汚い、絵にならない、ということだ。
 NHKの名曲アルバムなんて観ていると、例えば「リムスキー・コルサコフが30歳の時に貴族の娘に振られた傷を癒すために訪れた街」とか、恐らくそんなに有名でない街が実に美しい。
 別に欧米人が特別モラルにうるさいわけではないと思う。同じ人間だし、彼らだって何もなかったら汚い街になると思うのだ。実際、スラム街なんてひどいわけだし。
 何が違うと言えば、法律だ。それしかない。経済活動を阻害する規制を無くすことには賛成だが、景観の分野だけは強化しても良いのではないだろうか。

25 Wed

 日本人の言語を捉える感覚がおかしくなっているという話がよくある。先日も岐阜県のどこかの中学で、村議会か教育委員会が決めた「北アルプス中学」という校名が、「略するとアル中になる」という生徒の反対で中止になった、というニュースがあった。結局「北稜中学」というなかなか品の良い名前に決まったという。
 どうも、ある年代やある立場の人達はこの手のどう考えてもバランスの悪い名前を好んで採用する傾向にあるようだ。最近物議をかもした中では「南アルプス市」「東かがわ市」「四国中央市」などという名前が思い浮かぶ。つくば市などはその先駆けかもしれない。こういう記事を見たとき、えてして散見される採用の理由として「ひらがなでソフトな感じを出した」とかある。ソフトな感じがすることの何が良いんだろう、と思わずにいられない。「ひらがなは親しみやすい」という意見もある。日ごろ彼らは他の大多数の地名に親しみにくさを感じているのだろうか?
 ところで、今日は出張だった。乗車駅は「ひたち野うしく」下車駅は「さいたま新都心」。なるほど、問題の根は深いようだ。さいたま新都心に至っては一帯が「新都心」という地名になっているようだ。
 新都心という地名って、五十年後にどう解釈されるんだろう。「新横浜」や「新大阪」みたいにいつの間にか地名になるんだろうか。いよいよ言語感覚がおかしくなりそうだ。

24 Tue

 民間企業と公的機関の大きな違いは、予算の考え方だ。あまり詳しいことは書けないが、役所の予算消化について見聞きする機会を得た。役所のムダなんて一般的に語り尽くされた内容だが、改めて書いておくのは無駄ではないだろう。
 民間企業では、年度初めに当該年度の売上見込みを予測し、それに基づいて行動する。行動の結果、売上を得て、その売上の中から自らの人件費や会社の維持費を確保し、残りを利益とする。予算とは予測であり、不確実なものだ。当然、予測は狂うこともあるわけだ。
 これに対して公的機関では、前年度に次年度に実行したい内容を提案し、それに基づいて必要額を算出し、当該年度に財務省から予算を獲得する。公的機関にとって予算とは執行すべき予定であり、確実にこなすべきものなのだ。今回、誰もが頭では知っているこの事実「予算の執行」を目の当たりにした。これは民間の目から見ると衝撃だ。何しろ節約しない。逆に、予算が余ったら無理やり使う。僕の見た事例では、わけのわからないカメラのレンズとか、よくわからない電卓とか買っていた。人によってはかなり趣味に走るようだ。そういえば物置に使われていないホワイトボードとか台車とかあったけど、こういうわけだったのか。役所全体で見たら、無駄な買い物は莫大な数にのぼるのは確実だ。
 処方箋は難しいが、節約したら本人にとって益になるような何らかのインセンティブを与えるのはもちろんのこと、購入したものの負担が複数年に亘るようにするなどの案も必要なように思う。何しろその年に買った無駄が翌年以降に跳ね返ってこない。これは大きい。単年度会計の害は、奥が深い。

23 Mon

 新しい譜面が船便で届いた。タイトルは「Daily Warm-Up Exercises for Saxophone」とある。著者は、Jackie McLean。そう、あの有名なアルト奏者だ。
 この本の存在は以前から知っていたのだが、amazon.co.jpでは品切れだった。今回ようやく入手できて、喜んでいるところ。
 内容だが、単なるウォームアップ用譜面だけではなく、McLeanの略歴やインタビューも載っていて、さながらタレント本のようだ。
 練習は、ロングトーン、メジャースケール、マイナースケール、オーギュメントスケール(長三度音程のスケール)、ディミニッシュスケール(短三度音程のスケール)の組み合わせ。さらにオマケで、「Bluesnik」と「Dig」のアドリブ譜面が付いていた。これは思わぬプレゼントだ。
 ちなみにインタビューだが、オーソドックスな質問だけに却って興味深い。大雑把に書くとこんな感じ。
  • サックス奏者へのアドバイスを
     :毎日練習することが大事。少なくとも45分は練習する必要があるよ。
  • 影響を受けたサックス奏者は?
     :Dexter Gordon、Lester Young、Charlie Parkerだよ。
  • アドリブ上達のコツは?
     :練習し、ピアノなど他の楽器も弾いてみたり、色んな曲を演奏することに挑戦することかな。
  • 気にいっているアルバムは?
     :全部だけど、強いて言えば「The Connection」「Let Freedom Ring」と、「Monuments」のタイトル曲かな。
  • Digは貴方の曲として有名ですが、MilesがDigを自作曲だとクレジットした理由は?
    :Prestigeのプロデューサーが全部の曲をMiles作曲だと標記したんだよ。RollinsのOut Of Blueも同じ。
 Monumentsが嫌いじゃないとは知っていましたが、インタビューに答えるほど気に入っているとは意外だった。

22 Sun

 週末を利用して実家の伊勢に帰っていた。伊勢市の最寄り駅である宇治山田駅を出発したのは9:14、つくばに着いたのは14:10頃だからおよそ5時間の旅だった。内訳は、伊勢→名古屋が近鉄特急で1時間20分、名古屋→東京がひかりで2時間、東京からつくばが高速バスで1時間、2回の乗り換えで40分というところ。正に日本の発達した交通機関が成せる行動だと言えるだろう。
 こういう話をすると、伊勢にいる知人はつくばって遠いだろうと言い、つくばの知り合いは伊勢って遠いだろうと言う。伊勢の友人はつくばを知らず、つくばの知り合いは伊勢を知らないから、そういう感想になるわけだ。もちろん僕もかつてはそうだったが、互いの場所を知ってしまうとそうしたことは思わなくなった。
 別に旅慣れていることを自慢するわけではなく、僕も知らない土地はとてつもなく遠く感じる。先日訪れた米沢市も、僕にとってはまったく未知の場所だったため、行く前は遠く感じたが行ってみたらさほどの距離感でもなかった、という経験をしている。
 知らない場所を訪れてみて、自分の中で勝手に作っていた意識の壁が無くなった、という感覚は、その場所を訪れてみて初めて体験できる。この感覚の体験こそ、旅の醍醐味の一つだと思う。
 交通機関の発達の意義は、単純に距離を克服したことではなく、人々の間にあるこうした意識の壁の克服を促すことではないだろうか。

21 Sat - 20 Fri

 休みます。

19 Thu

 音楽の面白いところは、人によって好みが別れるところだろう。見事に個人の嗜好が表れる。
 テナーサックスで言えば、例えば僕はJohn Coltrane、Joe Henderson、Wayne Shorterが大好きだ。Sonny Rollins、Michael Brecker、Branford Marsalis、Dexter Gordonも好きだが、最初の三人には負けるかな。この意見には正反対の人も多いんじゃないだろうか。もちろん他に星の数ほどテナーマンはいるが、ぱっと思い浮かんだのはこの辺りなので、この辺が僕の想定するテナーマン像なのだろう。Hank MobleyとかJunior Cookとか他のフェイバリットには申し訳無いけど。
 さて、演奏が好きになるというのは、二つパターンがあるように思う。一つは、初めからドンピシャリ、一目ぼれタイプ。そしてもう一つは当初無関心だったのが、段々気になる、というタイプ。
 逆に、初めにダメだ、と感じたものはいつまでもダメだったりする。僕の場合は、申し訳無いがBenny Golson、Stanly Turrentineなどはそのタイプだ。異論もあるだろうが、仕方がない。そういうものなのだ。
 ここまで書くと誰でも思うことだが、これは恋愛と全く同じである。一目ぼれなんてそのままだし、当初は無関心だったのに段々気になって、というパターンは、消しゴムを拾ってもらったのがどうとか、そういうことだ(どういうことだ?)。そう思えば人にジャズの好みを説明することのもどかしさ、楽しさというのもわかる気がしてくる。
 ここまで書いて気がついた。ジャズがありがたいのは、決して相手に振られることがないということだ。

18 Wed

 春以降の配属先が不透明なのだが、不動産屋との接触を持つことにする。そろそろ決めないといい部屋が見つからないからだ。
 昨日名古屋の不動産屋と連絡をとり、条件を提示した。早くも今日10件程度の物件がFAXで届く。すると、いきなり好条件の部屋が見つかった。以前住んでいた部屋よりも同じ沿線で二駅ほど会社に近く、二部屋ほど広く、いくらか安い。何てこった。何となく今まで随分損していたような気になり、違いを考えてみる。周辺環境はいずれも住宅地、駅から数分でそう大きく変わりは無いから、どこかに決定的な違いがあるはずだろう。
 以前住んでいた部屋は、入居時点で新築だったが、今回は築10年を越えている。これはかなり大きそうだ。しかしこれだけではないだろう。
 外部の要因も考える必要がある。こちらの方が大きいかもしれない。決定的に違うのは、景気だ。前回就職したときは、バブル崩壊後だったのだが、まだ今よりましだった。
 もう一つ。前回は、沿線に地下鉄が開通したばかりで、まだ不動産物件が少なかった。大家が強気の価格設定だったのかもしれない。数年経って競争相手ができて、価格がこなれて来たとも考えられる。
 あるいはもっとマクロな原因として、少子化で人口そのものが減り、賃貸の需要そのものも減っているのかもしれない。
 それにしても部屋を増やすなら前回より遠い駅に、と思っていたのが逆になるとは。郊外化が当たり前の時代が終わり、人口減少の時代に入ったんだな、と妙に実感した。

17 Tue

 今日、とある試験の発表があった。見事に落ちてしまったため、気分が沈んでいる。
 この試験はまあまあ難しい方の試験で、僕の職業には不可欠のものである。いわばこの試験に受からないうちは半人前なわけだ。
 試験は二段階になっており、一段階は筆記試験で二段階は口頭試験。
 筆記試験は倍率が7〜10倍程度で夏に実施される。これまで何度か受験してなかなか歯が立たなかったが、この秋に初めて突破した。
 口頭試験は年末に実施された。倍率は逆に0.9倍程度。つまり10人に1人しか落ちない。これは今回初めて受験した。そして今日発表があり、これに見事に落ちてしまったというわけだ。
 口頭試験なので、何か良くないことを口走ったか、しゃべるべきことをしゃべらなかったのか。落ちた原因はわからないが、今年また受けるしかない。
 それにしても、試験に落ちた、という事実では今年と去年で何ら事態は変化していないわけだが、例年に無く落ちこんでいる。何しろ10人のうち1人しか受からない試験を突破した後に、10人のうち9人受かる試験で落ちたのだ。叶いそうもない望みが叶わなくても落ちこまないが、叶いそうな望みが叶わないときにはこんなに悔しいものなのか、と身をもって思い知った。これは筆記試験に落ちていた頃には感じなかった悔しさだ。
 今日だけは飲んで悔やんで、明日からさっぱり切り替え、もう一度1/10×9/10に挑戦することにする。

16 Mon

 ネットで注文した教則本が届いた。Rubank Elementary Mothodといって、その筋では有名な初心者用教則本だ。少し前から喉の形を変え、ロングトーンを練習していたのだがそろそろ音階が吹きたくなってきた。やはり基礎からということで購入に至ったわけだ。早速中を覗いてみる。
  • 音の長さ:全音符(音を四拍延ばすだけ)から始まり、四分音符、八分音符と次第に複雑になっていく。16分、三連符まであるようだ。
  • 音階:始めは臨時記号無しのハ長調のみなのが、最終的には全てのキーを練習する。
  • 拍子:4/4と3/4、2/4のみ。
  • 音のつながり:スラー、スタッカート、など。
  • 強弱:ピアノ、フォルテ、クレッシェンド、デクレッシェンドなど。
  • コード:トニックコード、セブンスコードのみ。
 文字通り一通り、という感じだ。絵に描いたような初心者向け。しかし初心者向けとあなどるなかれ、基本をきちんと演奏するのがとても難しい。
 こういう基礎ができてこそ始めてビバップが出来るようになるんだよ、と思いつつ、実はもう一冊別のもっと複雑なジャズ向けのスケール集も購入して、届くのを待っている状態であり、これが実は諸事情でかなり楽しみにしている一品なのだ。
 それにしてもこの二冊の本、同時に注文して船便で別々に送ってくるのは勘弁してほしいところだ。在庫の関係なんだろうが、せっかく安い船便にしたのに、輸送費が倍かかっているではないか。そんなことを言いつつ、抗議のメールを英文で書けないのが情けないところだ。

15 Sun

 失業率がようやく5%を切ったというニュースがある反面、細かく見ると25歳以下の若者の失業率は20%を越えているという。恐ろしい話だ。新聞の政治面では構造改革などと言っているが、こういうニュースを聞くと本当に今の政策が正しいのか不安になるのが自然な感情だろう。
 経済学を勉強して知ったことだが、現在の政府の政策は完全に間違っているというのが経済学界の大勢だそうだ。政府は構造改革を標榜し、財政引締め、不良債権処理を行っているが、デフレの状況でこれを行うことは「暗闇への跳躍」なのだそうだ。
 冷静に考えると、政府が銀行に不良債権処理を支持し、銀行が債務返済困難な企業からの取り立てを迫る状況で、企業が新たに新入社員を雇おうと考えるはずがない。普通なら採用を控え、新たな投資をせず、内部留保を確保しようとするだろう。従業員も不況下では将来不安から貯金を増やそうとする。企業も市民も金を使わなくなる。こうなると、お金が市中で廻らないのでますます売上が減る。
 対策として通常は日銀が一般の銀行への貸し出し金利を低くする。通常ならお金を貯めるよりも使う方がトクになるから、これが不況脱出のきっかけになる。ところが現在のように市場が思いきり冷え込むと、金利がゼロになっても、使うより貯める方がトクになる。これが流動性の罠というのだそうだ。
 この対策が非常に難しいそうだ。通常の金融政策が効かなくなるから、どばっとお金を流し続けるよ、と日銀が宣言すると市場がまた動き出す、という政策が提案されているが、「前例が無い」「効果が不透明」「ハイパーインフレが心配」として採用されていない。
 効果が不透明でも、インフレの引き締めは実績ありなので行えば良いと思うんだが、オトナの世界は難しいようだ。こうしている間にも履歴書の職歴欄に何も書けない若者が増えているというのに。

14 Sat

 昨日訪れた米沢は「成せばなる」の上杉鷹山で知られる城下町である。現在もその歴史は十分に感じることができる。市街地の各地に残る史跡はもちろんのこと、僕のような土木の人間にとっては道路網の構成、地名にもかつての時代を感じることがある。あぁ、この川や山を軸に城を置き、中心の街が出来ていったんだ。古い街道はこれだ。明治時代に駅がこの辺にできたのはこの施設がここにあったからだろう、などと、地図を片手に目の前の街並みを見たら、かつての生活が蘇るような気分になれる。
 米沢駅から今回の仕事の目的地に向かうバスの道すがら、ふと公園を見ると雪燈篭が作られていた。雪を燈篭の形にして、夜は中に灯をともすのとのことで、地元の高校生などが作って毎年祭りを行っているのだという。テーマを決めた雪祭りのようなものだろうか。雪国ならではの造形物に、しばし魅せられた。雪はそこに住む人達の生活にとって大変な障害となるが、こんな祭りを見るとそれを跳ね除けて美しい文化に昇華することもできると気付かされる。
 こうした新しいイベントが継続されていくうちに、イベントは人々の生活の一部となり、いつしか独特の文化となっていくのだろう。かつての歴史の上に、新しい文化が誕生し、歴史が刻み込まれていくのだ。
 米沢は本当にとんぼ返りの短い訪問ながら、深く印象に残った。いずれまたゆっくりと訪れてみたい。

13 Fri

 早朝7時、福島駅から奥羽本線で米沢を目指した。
 定刻通りに出発した列車は左にカーブを描き、一路福島県と山形県の県境である板谷峠を目指す。左手の車窓には驚くほど美しい山麓が連なる。確かあれは吾妻山地のはずだ。左側の美しい山が智恵子抄で詠われた安達太良山だろうか。
 列車は厳しい勾配を駆け上がり、一気に山地に入る。同時に、景色は白色に一変した。中部地方で生活していた僕にとっては、このような雪景色を見たのは、信州白馬か、厳寒期の飛騨くらいのものだ。そう思っている間に目の前の雪の丈はぐんぐん上がり、いつしか車窓と同じ位の高さになっていた。
 放送によると、次は峠という名前の駅だそうだ。「山」や「川」のような「峠」という普通名詞が地名になっているのに驚く。地名がなかったのだろうか。地名の無い場所に人が住んで、しかも駅なんてできるんだろうかなんてつらつら考えているうちに、峠駅に着いた。峠駅は、防雪なのだろう、駅全体がシェルター状の施設の中にあり、薄暗かった。
 列車に揺られているうちに、勾配がかなり急であることに気付いた。もちろん峠を越えているんだから急勾配で当たり前なんだが、勾配がきつ過ぎる。奥羽本線は歴史ある路線のはずだが、こんな急勾配ではSL機関車の時代では越えるのが困難だったことだろう。恐らく電車の時代になって、路線を変更したのではないか。そう思って見ていたら、トンネルなどの構造物も比較的新しいように思える。後で調べたら、山形新幹線開業時に付け替えたらしいことがわかった。
 列車は下り勾配を進み、米沢駅に到着した。ノーベル賞の文豪ではないが、そこは僕が始めて見た本当の雪国だった。彼は越後湯沢だったが、僕は米沢で雪国を見た。

12 Thu

 休みます。

11 Wed

 街で暮らしていると、美味い店はこことか藪医者はどこだとか、結構口コミが幅を利かせているものだ。たかが噂と思ったらこれがなかなかあなどれなくて、結構確実な手段だったりする。
 事実、僕の故郷くらいの小さな都市だと、新しい店が口コミであっという間に流行ったり、逆に廃れたりする事例があるものだ。口コミって社会の中でどんなメカニズムで伝わるのかわからないが、日本人が1億人以上いても友達の友達の友達...で辿ると意外と数人で芸能人に行きつく、と聞いたことがあるから、調べてみると単純な階層で広まっているのかもしれない。
 こうした口コミのシステムはIT上でも同じで、行ったことも見たこともないものの、しかも細かい情報がネット上で手軽に伝わるようになった。ちょうど仮想的な街がネット上にできあがっているようなものだ。しかも情報が細かい。例えば評判のいい経済学の本とか、正しいサックスのアンブシュアとか、以前なら口コミにもならなかったようなマニアックな情報が流布されている。
 これは結構恐ろしい話で、悪い評判が一瞬で伝わることを意味する。雪印みたいになったら文字通りあっと言う間もなくつぶれてしまうわけで、日本中が「壁に耳あり」状態になっているようなものだ。まあ良い評判もすぐ伝わるわけだから、品行方正にしている分にはアリバイが作り易い世の中とも言えるだろうか。

10 Tue

 当初つくば市で生活するにあたって何が心配だったというと、買い物だった。特に僕は足のサイズが小さく、靴を選ぶのに苦労していたから、その点が心配だった。輸入盤CDとも縁遠くなりそうだった。
 実際、百貨店は一件しかなかった。靴屋は、まぁどこかにあるのかもしれないが、未だにビジネスシューズではこれ、という店を発見できていない状況である。輸入CD量販店は、無いことが確認できた。
 ではそれで今現在困っているのかというと、実際は全く困っていない。何のことはない、ネット通販を利用したのだった。
 実際、好きなブランドの、好きなサイズの、好きな形のビジネスシューズを手に入れた。CDもDVDも入手した。最近は輸入楽譜まで購入したくらいだ。名古屋にいたころは、なまじ店が近所にあったので通販という考えに至らなかったわけだ。
 そんなわけで、先日靴屋から靴が届いた。ふと送付元の住所を見たら福岡の店だった。注文したときは気付かなかったが、この靴は随分遠方からやってきたわけだ。よくIT社会になると買い物に行く必要がなくなり、交通量が減る、なんて言うけど、そう単純ではないことがわかった。確かに10人の買い物がネット通販に代われば交通量は1/10に減るように思うが、今度は福岡→つくばという常識では無かったような交通が生まれたわけだから。

9 Mon

 Prestige、Blue Noteの経営姿勢というのは、インディーズレーベルの対極にあって面白い。
 昨日も書いたように、Prestigeはホームランか三振か。リハーサルも無くミュージシャンの調子任せで闇雲に録音し、良さそうなものが出来そうならそれなりのジャケットで売りだし、今一でもとりあえず一丁上がりでとにかく販売してしまう。その経営姿勢は、ジャズをネタに一山当てようという山師のようなところがある。恐らくBob Weinstockはあまり熱烈なジャズファンではないのだろう。経営で言うと、フロー重視と言える。
 これに対して、Blue Noteはこつこつとヒットを重ねるレーベルだ。販売されるアルバムの品質にムラが無い。製作過程では編曲に凝り、リハーサルを重ねて良い演奏を残そうとした。ジャケットもデザインに凝って、さながら当時の現代アートのようだ。Blue NoteのAlfred Lionは強烈なジャズファンだったそうだが、それは残された作品群から十分に感じることができる。こちらは経営で言えばストック重視だろうか。
 さて、歴史の面白いところは、こうした対称的な行動は、当時の経営状況には大きく影響していないように感じられることだ。どちらもそこそこのヒットを飛ばし、時間差こそあれ70年代まで生き残り、そして大手に吸収されるなりして消えたわけだ。
 ではAlfred Lionの行動は大いなる労力の無駄、単なる自己満足だったのだろうか?
 もちろん、違う。二つのレーベルは、結果として、打率に大きな差が出た。Prestigeに名盤は多いが、Blue Noteの品質にはとうてい適わない。そしてそれはジャズファンが寄せるレーベルへの愛情にも現れている。Blue Noteは形を変えて今でも新譜をリリースしているが、Prestigeは復活の噂すら聴いたことがない。

8 Sun

 久しぶりに「Saxophone Colossus / Sonny Rollins」を聴いた。永遠の五つ星の名盤にケチを付ける余地は無いと知ってはいたが、聴いているうちに、ソリストとしてのロリンズのほかに、アルバムとしての完成度がずば抜けていることを再認識させられた。
 リズムとフレーズの嵐であるSt.Thomas、豪快で優しいYou Don't Know What Love Is、知的に疾走するStrode Rode、大らかに高らかに唄うMoritat、そして野心的なBlue Seven。曲順も完璧だ。
 賛辞は尽きないわけだが、不思議なのはこの名盤を世に出したPrestigeという会社である。どれがそれだとは特定しないが、満塁ホームランアルバムと凡打・三振アルバムの差が激しいように思う。まあそこが魅力でもあるわけだが、一体どのようにプロデュースしたらあんなにアルバムの質に差が出るんだろう。当時のミュージシャンに評判が悪いことからも、勢いの向くまま作り散らかしていた、というのが本当のところであろうが、不思議なことにこのレーベル、ジャケットの質と内容が正比例している。どうやら自分で出すアルバムの品質に自覚があったようだ。これは佳作、これは今一つ、という具合に。で、売れそうな音源はジャケットにも気合を入れ、今一つと判断した音源はジャケットも手を抜いたと。そう考えると、ユーザーに判断の材料を与えた優しいレーベルと言えるのかもしれない。

7 Sat

 日本の街並みが美しくない、と言われて久しい。その中でよく槍玉にあげられるのが、電柱と電線だ。あまりにもそこら中にあるので気付かないが、これが街並みの風景を悪くしている元凶の一つと言っていいだろう。少なくとも、電線があることで景観が向上することはごくまれだと思う。悪くなりこそすれ、良くなりはしない。例えばそれは、パリのエッフェル塔の目の前を電線が走り、電柱に「○○産婦人科」なんて立て看板が付いている風景を想像すれば十分だろう。
 ところがこういう話をすると、結構多い意見として「電線のある風景にはある種の郷愁を感じる」「ごちゃごちゃした風景こそアジア的で、何も欧米に合わせる必要はない」などが出てくることが多い。これらはそれなりに納得できるところはあるが、理由として十分ではないだろう。
 前者については、では電線が無ければ郷愁を感じないのか、電線があれば必ず郷愁を感じるのか、というとそんなことはなくて、郷愁を感じる風景の一部分に電線が存在することがある、というに過ぎない。後者については、欧米も規制がないところは看板だらけになっている、という事例で十分だろう。ニューヨークでも、ビレッジ周辺のミクロの風景は立て看板で溢れている。ただ、マクロの風景、例えば摩天楼の眺めなどは、きっちり規制されている。摩天楼に「ぢ・久屋大黒堂」なんて見えたらさぞ興ざめだろう。
 ということで僕が全面的に電線地中化に賛成しているかというとそうではなくて、必要ではあるが、やはりコストとの兼ね合いできっちり効果を検証して、壁面を這わせるとか、安い工法を考えるとか、色んな知恵を組み合わせる必要があると考えている。

6 Fri

 実態を知らないが有名なもの、というものは世間に数多い。TVから放送されるほとんどのものは、そのような「個人個人にとって全然見たこともないけど、よく知っているもの」になるだろう。
 そうした知識というのは、得てして思い込みが生じやすい。例えば、僕達はイラクの状況や北朝鮮の状況を何となく知った気持ちでいるけど、本当はもっと悲惨かもしれない。もっと楽観的かもしれない。地域、立場によって、現実は全然違う面を表現するのだ、ということを常に頭の隅においておくよう心がけておかないといけない。
 国際情勢のような大層な話ではないが、この一年で霞ヶ関に何度か出入りする機会を得たとき、思い込みと現実の違いを感じた。キャリア官僚という人達をたくさん見たのだ。国を動かすエリート達。
 彼らは一様に頭が良くて人も良く、一般的に紳士だ。例外もいるけど。その実務の世界は、民間企業のそれと一部で同じ、一部で全く違うようだった。
 民間企業と同じだ、と感じたのは、彼らが与えられた状況の中で最大限の努力をしているということ。そして少しでも世の中を良くしようと思っていること。
 違う、と感じたのはコスト意識と権力。コスト意識については、民間企業では儲かるか、それにかかるコストはいくら下がるか、をまず考える。しかし彼らはどう活用するか、を考える。それが彼らの立場なのだ。権力については言わずもがな。圧倒的だ。

5 Thu

 引き続き合意形成の話。西欧と日本では、物事に対する合意形成のかたちが違うのだという。
 欧米では、合意形成は「説得」の方法として位置付けられる。ある問題に対して、欧米では個人個人が意見を持っており、それら意見に対して問題点を話し合い、優劣を付けて各個人を説得していく。
 これに対して、日本の合意形成は「納得」なのだそうだ。問題が発生したとして、日本人は最初は確固たる意見を持たず、集団の中で意見を聞き、物事を考え、話し合いの中で問題点について納得することで合意形成に至る、という話だった。とかく技術者というのは、理詰めで説明してしまいがちである。かくかくしかじかこういう理由でこの事業は必要なんですよ、賛成してくださいね、という具合に。これは説得であって、納得に至る話し方ではないというわけだ。ぼんやりとは感じていたことだが、改めて整理して説明されるとすっきりと理解できた。
 そもそも、納得とは何だろう。我々日本人はそれこそ感覚で「納得」できるが、これは非常に英語に翻訳しにくい概念なのだそうだ。理詰めではないが、心の中ですとんと整理できた、というあの感覚。
 講師の方曰く、「納得とは前向きの妥協である。妥協とは後ろ向きの納得である。」なかなか上手いことを言う、と思った。

4 Wed

 国立市のマンション、東京外環道路、小田急高架事業のように、公共事業で官側と民間が対立する図式は枚挙に暇が無い中で、合意形成に関する講習会を受講する機会があった。それによると、かつての日本社会では対立を避けるための仕組みとして出会いと話し合いの間に、「寄り合い」というプロセスがあったという。いきなり出会って話し合うのではなくて、ワンクッション置いて打ち解けあい、しかる後に話し合いをする、という段階を踏んだらしい。このワンクッションが寄り合いであり、その場を取り持つためのツールとして連歌や生け花、お茶などが生まれたのだと説いていた。なかなか日本人のメンタリティに沿う話だと思う。
 そうしたノウハウは現在の話し合いの場でも活かされているそうで、事例をいくつか見せてもらった。
 難しいのは、小規模で互いに顔を知っているような間柄だとそうした寄り合いも機能するが、巨大な事業のように利害関係者が不特定多数に及ぶと互いが打ち解け合うというプロセスを生むのが困難なことだ。
 面と向かってもなかなか打ち解け合うのも難しい世の中だが、不特定多数ならその苦労は並大抵ではないだろう。
 現代の「寄り合い」の事例の一つとして僕がいちばん意識しているのは他ならぬこのインターネットのコミュニティだ。オフ会で初めて出会った人に親近感を抱いたのは僕だけではないだろう。新しい形の「寄り合い」は意外に近くにあるように思う。

3 Tue

 「ゆとり教育」で学力低下が問題になって、文部科学省がいろいろと叩かれている。かつて積めこみ教育は良くないと叩かれ、考える力を養うようにしろと言う声に従ってカリキュラムを変更したら、今度は学力低下したと言って叩かれたわけなんで、役人にしてみたらどうしろって言うんだ、という気持ちではないだろうか。
 何も知らない外野からの素朴な感想としては、明治以降、学校制度はずっと続いているんだから、中学生くらいまでの学習内容というのは基本ははっきり決まっていてそう大きく変える必要がない気がするんだが、どうなんだろう。そもそも古今東西、カリキュラムに関わらずよく勉強するヤツは勉強するし、勉強しないヤツはしないもので、一定の割合でどちらも存在するわけだ。そう考えると、このコロコロ変わるカリキュラムの意義というのがますます分からなくなってくる。
 ところで、なぜ教育のカリキュラムがこんなにコロコロ変わるんだ、という問いに対するもう一つの答えは、教師が同じことばかり教えて考えることをしなくなることを避けるためだよ、と知り合いの公務員が言っていた。さすが、公務員同士よく事情がわかっている、と妙に感心した次第だ。

2 Mon

 その道のプロというのは、一般人なら気付かないことに気付く能力を持っている。例えばサックスのプロは、サックスの音色を聴いただけで楽器のメーカーやらマウスピースやらリードの見当が付くらしい。また、録音のプロは、僕らの気付かない編集作業の形跡も耳で判別できるそうだ。僕だってテオ・マセロの編集くらい判りやすければ判断できるが、普通に販売されている録音でもそういうのは日常茶飯事だそうで、気付く人にとっては気になって仕方が無いものなんだそうだ。
 ところで最近、鏡を見てふと自分の髪の毛が気になった。心なしか、若い頃よりもボリュームに欠ける気がする。こういうのは気になると将来への不安が治まらないもので、シャンプーの銘柄を変えてみようかとか櫛で頭を叩こうかとか、色々と対策を考えるようになってきた。
 そうこうしているとき、散髪する機会があったので、思いきって床屋のおばさんに聞いてみた。「あのう、頭、大丈夫ですか?」
 まるで頭が弱いのを確認しているみたいな質問だったが、おばさんはちゃんとこちらの問わんとする意味を正しく理解してくれてこう答えてくれた。「禿げないよ。大丈夫。」「本当ですか?」「1000万円懸けても大丈夫」
 いや、大した自信だ。その道のプロならではの発言だと言えるだろう。彼女曰く、禿げる可能性、部分はおろか、禿げる年数、髪が無くなる年齢までわかるそうだ。さらに、髪を触っただけで普段使っているシャンプーの銘柄までわかるとのこと。髪質はなんとなく理解できるが、さすがにここまで来るとその道のプロといえるだろう。
 結局、名人のお墨付きに安心しつつも、シャンプーだけは髪により優しそうな銘柄に変更することにはした。油断大敵ではあるから。

1 Sun

 つくば生活もラストスパートということで、引越しの時期が近づいてきている。引越し先が名古屋になるか、その他の町になるのかまだよくわからないが、名古屋という前提で引越し条件を考えてみた。
 まず外部条件を考える。(1)勤務先は名古屋駅周辺である。(2)長時間勤務である。(3)災害に弱いのは困る。(4)治安が悪い、騒音が多いのは困る 辺りだろうか。これに自分固有の事情、内部条件を追加する。(5)休日はジャズ演奏したい。(6)車を持っている。
 もちろん他にもあるけど、切りが無いのでこの辺で。順番に考える。(1)勤務地が名古屋周辺→通勤電車は名古屋駅直通が良い(2)長時間勤務→終電が早いと困る。(3)災害に強い→土地の低い場所は避ける(4)治安・騒音→工業地帯、商業地隊を避けて住宅地を選ぶ(5)ジャズ演奏→ジャズスポットは名古屋市なので、名古屋市から極力離れない位置(6)車保有→都心は避ける
 これに、買い物ができるかとか考えると、おのずから住む沿線は決まってくる。どうやら今まで住んでいた沿線で、ちょっと遠めにするのが良さそうな気がする。
 などと言いつつ、東京や大阪勤務になったらどうしよう。

January

31 Sat

 NASAが地球の地形データを公開している。これは日本人宇宙飛行士毛利さんも関わったプロジェクトのデータだそうで、無料というのが嬉しい。なぜNASAかと言うと、スペースシャトルから地球上の標高データを観測したものなんだそうだ。そういえば、一時期地球上からスペースシャトルが見える、とか評判になっていたときがあった気がする。そのときの彼らは僕達にスペースシャトルを観測させようとサービスしていたのではなくて、スペースシャトルが僕らの住む大地のデータを収集していたわけだ。
 実際にデータをNASAからダウンロードして見てみた。ダウンロードした場所はグランドキャニオン周辺のデータ。データを立体地図に変換するソフトで見てみた結果としては、なだらかな地形はばっちりだったが、標高が極端に変わっているところ、具体的にはグランドキャニオンの一番有名な、深い渓谷のところはデータが採取できていなかった。そこだけ、地図を折ったような、人工的な標高データになってしまっている。残念だが、スペースシャトルは相当なスピードで地球上を回っていたはずだから、地形が急変する場所のデータが採取できていなくても不思議は無い。
 ともあれ、スペースシャトルはこれで世界中の標高データを採取したんだそうで、一回のフライトで全世界中の標高データが得られたんだから、かなり効率的なプロジェクトなんじゃないかと思わずにいられなかった。
 もちろんキナ臭い話も容易に想像できて、当然アメリカはそのときに「ならずもの国家」の地形データを採取していたものと思われる。

30 Fri

 サックス練習は続いている。当初の課題は、「喉を開く」だった。これは意外なほど早く達成できた。では僕は念願のマクリーンの音色を獲得できたのか?もちろん否。
 当然のごとく新しい課題は現れた。ロングトーンだ。調査の結果、口の周りの筋肉と横隔膜周りの筋肉を鍛える必要があることがわかった。ということで練習。次第に慣れてきて、当初よりも随分長く吹けるようになってきた。どうやら前述の筋肉が徐々に付いてきたみたいだ。
 嬉しい副産物も現れた。オーバートーン、グロートーン、フラジオ、サブトーンなど、サックスの音色を豊かにするためのテクニックもかなり楽に出せるようになった。状況証拠から見て、自分は正しい方向で練習しているようだ。
 「まぁ、元々サックスは学生時代から吹いていたから、コツさえわかれば出せるとは思っていたんだよね。」
と、10年くらい悩んでいたことも棚に上げてご機嫌でいたら、案の定あっと言う間に次の壁に当たった。クレッシェンドとデクレッシェンド。音を大きくしたり小さくしたりすること。簡単そうに思えて、これがうまくできない。
 歩くよりも立っている方が楽なように、動的状態は静的状態よりも難しい。音量もそうなわけだ。音量変化は腹から口に供給する空気の変化量に還元できる。一定の息の量を腹から供給することは比較的楽だが、息の量の変化の度合いを安定させてるのは別の苦労が要る、ということにようやく気付いたというわけだ。
 要するにまだまだ練習は続くということだ。今日書いたこの記録は、いつの日か笑い話になるのだろうか。なるように努力、である。

29 Thu

 誰かしら、一度や二度はTVに出たことはあるのではないだろうか。仕事で取材が来た、趣味のイベントの発表会が夕方のローカルニュースに流れた、などなど。僕は大学生でジャズ研にいた頃、ラーメン屋に頼まれて演奏をして、それが夕方のローカルニュースに流れ、新聞に載ったことがある。そのときは軽い気持ちで、ちょっとした受け狙いだった。
 ところが、実際に放送された内容や掲載された新聞を見てみると、「大学生、ラーメン屋にジャズの応援歌」みたいな、何だかピントのずれた美談のような報道をされてしまった。
 趣味の世界ならそうした報道もまあ良しとしよう。それにこの場合は良い方に捉えてくれたことだし。しかし、例えば自分が職業として専門としている内容について、報道が明らかにこちらの思惑と違うことを伝えている場合はどうだろうか。大方の、その専門分野について知らない人達はその間違いに気付かず、報道の伝える内容を信じてしまうだろう。
 別にここではマスコミの人を責めるつもりは無い。彼らは得てして理工学に弱く、各々の専門分野が有する前提条件を知らないことが多いからだ。それに、僕だって自分の専門分野から外れたことは大して知っているわけではない。
 そうは言っても、各々の専門分野の専門家が自分と同じようにマスコミの報道内容に対する不満を少なからず持っていると考えたら、ちょっと空恐ろしい。そしてこの考えはそう的外れでは無いような気がするが、どうだろう。毎朝毎晩ニュースで伝えられているような内容というのは、かなりの差し引いて考えないといけないということになる。

28 Wed

 僕は高校生の頃ジャズファンになった。その頃は、ちょうどジャコ・パストリアスが亡くなった直後だった。僕はジャコの活躍を知らなかったので、雑誌に並ぶ追悼記事に何の実感もわかなかった。ただ、凄い人が若くして亡くなった、という知識だけを得た。
 マイルス・デイヴィスは生きていた。演奏を聴くにつけ、同じ時代に生きていることに感謝したものだ。そのマイルスは、僕が大学生の時に亡くなった。TVニュースで報道され、リアルタイムで衝撃を受けた。
 最近ジャズファンになった人は、ジャコ・パストリアスもマイルス・デイヴィスもリアルタイムで知らない人がいることだろう。人によって経験にはばらつきが出てくるということだ。これは、頭ではわかっていることだが、なかなか普段は気にかけないことの一つだと思う。言うなれば、こうしている瞬間にも僕達はそれぞれが歴史の証言者になっているんだ、ということだ。
 ジャズならば、そうした自分の経験を語ることも楽しく行うことができるだろう。しかし、これが事件や事故、災害だったらどうだろう。つい最近のように思えるけども、阪神大震災を知らない小学生だって既に誕生している。彼らは大災害のことを知らない。彼らにその恐ろしさや貴重な経験・教訓を伝えるのは、先にそれらを経験した僕達の責務だろう。今まで自分の経験を伝えることについて特に意義を感じていなかったが、そう考えると理解できる。

27 Tue

 新聞を見ると、最近は平成の大合併とか行って新しい自治体が誕生している。中には南アルプス市とか、四国中央市とか、ちょっとわけのわからない名称もあって論議を呼んでいるところもあるようだ。合併の理由としては、事務の効率化などがあげられているが、これは日常の仕事の効率化だ。それも大事だけど、本当に考えないといけないのは、これまで築いてきた資産の管理に対する効率化だ。
 一軒家に一人で住む場合と、四人で住む場合を考える。築40年の家に住んでいるとすると、家も痛んでくる。この場合、四人で住んでいたら修理も共同で出来るし、ちょっとした家の痛みも早めに気付くことができるかもしれない。ところが、一人で住んでいたら修理は大変だし、そもそも修理が必要なことに気付かないかもしれない。
 同じことが地方自治体にもいえる。人口の多い自治体だったら、道路や橋、トンネルの修理も早め早めに手をうてる。ところが人口が少ない自治体だとこうした管理が行き届かない。これが自治体合併の本当の理由といえる。業界では事態は深刻視されていて、このままでは10年後くらいには地方に行くと渡れなくなった橋、くぐれなくなったトンネルがあちこちにできると予測されている。
 何とかしたいのだが、ようやく資産の評価が始まった段階だ。小さな自治体はそもそもそんな評価をする余裕すらなくて、事態は深刻だ。

26 Mon

 昨日書いたように、つくば市は住居エリアや商業エリアが区切られている都市構造で、街中の大通りをトラック・普通車が混在し、通勤時間帯を中心に混雑が発生している。つくば市の交通状況改善にはどういう処方箋が適しているのだろうと考えてみた。
 問題解決は、事実を観測することから始まる。普通はつくば市の人口分布とか、交通量の観測結果から現状を判断することになる。ここではそうしたデータが無いから仮定で話をしてみる。
 トラックと乗用車が街中を混在して走行している事実から、長距離交通と短距離交通が混在していると思われる。見たところトラックはつくば市中心を基点・終点としておらず、つくば市を通過する交通である(実際は観測データから裏付けられる)。また、各エリアが明確に区分されていることから、エリアを連絡するために相当量の交通が発生していると思われる(これも本来は観測データから裏付けられる)。
 次に対応を考える。短期・中期・長期にわけて考える。
 短期的には、当面の交通混雑に対応する施策として、長距離交通(トラック)を迂回させるバイパス整備で混雑を分散させる。無理な場合は、現状の道路網から迂回ルートを確保する。
 中期的には、交通需要そのものを抑えるために公共交通を整備する。近年事例が多い乗合バスや100円バスなどはこうした要請への対応だ。現実には運行費用の予算手当てが問題になる。
 長期的には、都市計画を変更し、職住接近を図ることで都市構造そのものを変える。余分な交通の発生を元から絶つわけだ。
 実際にはこうした対応をする場合には厳密な予測、経済的な裏付けなどが検討されるし、関係する地域住民への対応も検討される。計画途中で新しい需要要因もあるだろうから、それへの対処も必要になるから、ことはそう単純ではない。
 僕の見たところ、つくば市は長距離交通を迂回するバイパスと、左折・右折レーンの変更、信号現示の検討くらいでまだまだ対処できるように思う。しかし、常に社会資本整備は中長期のことを考えておかないといけない。

25 Sun

 つくば市に来ると、大抵の人は整然とした道路網に驚く。南北を貫く片側ニ〜三車線の大通りが東西に二本並び、それを東西方向にハシゴのように連絡する大通りが何本も存在しているからだ。また、商業エリア、住居エリア、大学エリア、研究エリアなどが公園のような緑の中に配置されていて、都市のアウトラインとしてはとても美しい。
 見事に計画された街を見て初めは感心したが、しばらく暮らすととても不便であることに気付いた。街の形が南北に長くて、どこに行くにもその南北の大通りを通らなくては行けない。また、各々の機能を持つエリア同士が離れているので、何をするにもとにかく車に乗らないとやっていけない。結果として、ムダな交通が発生し、しかも大通りに交通が集中してしまうのだ。
 都市計画屋は何をしていたのか。もしかして何も考えていなかったのかというとそんなことはなくて、考えていたのだが計画の思想が現代から見るとちょっと古いのだ。都市の形に対して理想主義的に考え、過度に象徴性や思想を取りこんだ時代の計画で、あまり将来の街の姿とか、交通量のさばき方とか、そうした下世話な話は考慮されておらず、むしろ積極的にそうしたものを排除しようとしていた時代のものだと思われる。
 理想と現実が異なるのは世の常だ。しかし、良かれと思い苦労して計画した結果、その土地に暮らす人達に不便な生活を強いることになることがあるという現実は、社会資本に関わる仕事に従事する自分にとって、重く受け止めないといけないだろう。

24 Sat

 穐吉敏子を紹介する番組が放送されていた。彼女が30年間続いたあの素晴らしいジャズオーケストラを解散し、カーネギーホールと生まれ故郷の大分で演奏をする。そのドキュメンタリーだ。大分が最後の演奏だったのだが、彼女はその最後の演奏のために神楽とジャズを組み合わせた新曲を演奏していた。素晴らしい内容だった。
 番組は彼女が演奏で伝えたい日本人としての心を追う。彼女は言う。「ジャズは自己表現。自分にしかできない演奏を考えたら、日本人としてのそれだった。」最後に発表した神楽とのコラボレーションは、確かに彼女の言うとおり、単なる色物の組み合わせではない深い自己表現の域に達していた。
 彼女は30年間続いたオーケストラを解散し、かつてのようにピアニストとして再出発するのだという。そのため、数年前に手術を余儀なくされて、ほとんど握力の無くなった手を70歳を越えて再び鍛えているのだそうだ。
 何故そこまで自分を追いこむのか。番組は、誰もが思うであろうその疑問を彼女に問い掛ける。彼女はこう答えた。
 「追いこんでいない。むしろ私は自分に親切だ。私は社会に関心を持ち、自分の楽器でメッセージを伝えてたいと思っている。そのために自分を差し向けているのだから。」
 これを聞き、その前向きな姿勢と言葉の裏に感じる自分への誇りを感じ、胸をうたれた。それにしても何という澄んだ、清らかな心なんだろうか。
 その奏でるサウンドを目標にしたいのはもちろんだが、その生き方を見習いたい。彼女はそう思わせてくれる数少ない人の一人だ。

23 Fri

 先日見たテレビの中で、右利きの人が左でボールを投げる訓練をする、という企画があった。確か2週間くらい、左手で字を書くとか、意識して左手を使うように日々の生活を心がけることで、結構左手でボールを投げられるようになっていたのが驚きだった。人の体というのは僕らが思う以上に環境への適用力があるということなのかな、と思った。
 最近僕の親父が手術をして、胃の1/3くらいを切った。でも二週間くらいで退院して、三ヶ月くらいで普通の食事になるんだそうだ。こういう話が身近にあると、一層そうしたヒトの環境適応力に感心するとともに、その能力に驚いてしまう。
 ところで、僕は今週初めからサックスの練習を再開している。それも奏法をちょっとばかし以前とは変更して練習をしている。まだ練習を再開して数日しか経っていないが、以前とは違う奏法で吹くことができるようになった。これは結構自分でも驚いた。えずくようなことはない。意外にあっさりと体が慣れてしまったのだ。これも一つの環境適応かな、と思った。
 さて、喉が解決したら、他の問題ができた。口周りの筋肉と腹筋が足りないのだ。音の質を保てない、ロングトーンができない。これは筋肉が付くまでひたすら練習するしかないわけで、今度は、脳みそは適応しても肉体がついていかない状態なわけだ。こうなると肉体としては地道な精進あるのみである。

22 Thu

 the Road Atlas'04で「Rifle」という地名を探した。拳銃のライフルが地名になっている街だ。僕はかつて米国を旅したとき、この街でバスに乗り遅れ、荷物だけがロッキー山脈を越えてしまった、という失敗をしたことがある。思い出の場所なのだが、場所がはっきりしなかった。しかし地名は強烈だったので覚えていたのだ。
 Rifleは、コロラド州にあった。地図を見ると、かつての旅の記憶が蘇ってきた。
 グランドキャニオンを後にした僕は、Durangoという街でバスに乗り、Grand Junctionという街で一泊した。泊まった宿は家族経営で、可愛い男の子がアイドルになっていて、楽しい夕べを過ごした。Grand Junctionは、名前のとおり鉄道の一大ターミナルで、かつての西部劇の時代を思い起こさせるものだった。
 Grand Juntionからロッキー山脈を目指した僕は、途中のRifleで休憩したバスに乗り遅れたのだった。
 結局そのときは、Rifleのバス停の親父に、バスの最終目的地であるDenverのバスターミナルに電話してもらい、荷物を一時止めておいてもらったのだった。何もないRifleでは次のバスが来るまで二時間、コロラド川を見つめて過ごした。
 地図を眺めていると、Rifleという街の隣にParachuteという不思議な地名を見つけた。この地名にも覚えがある。地名をバスから覗き、不思議な気分になったこともまた思い出した。地名も不思議だが、記憶も不思議なものだ。ふとしたことで、旅の一瞬が思い出されるのだから。

21 Wed

 先日、東京の八重洲ブックセンターで地図を買った。日本のものではなくてアメリカの地図だ。the Road Atlas'04で値段は\1,400。なぜ買ったかというと、アメリカの地形がパソコン上で立体で見られそうだ、とわかったからだ。どうやって見るのか。三つのツールが要る。標高データと、地図画像データと、データを表示するソフト。
 標高データは、NASAにあるスペースシャトルで観測された地形データが無料で公開されている。
 地図画像は、アメリカの各州が無料で公開している。
 そして地図表示ソフトは、カシミールという有名な無料の地図表示ソフトがあり、最近、NASAデータやアメリカ地図画像データを読み込めるプラグインが公開された。これでアメリカの立体地図が茶の間で完成する、というわけだ。素晴らしい。実を言うと、わざわざ地図を購入したのもこのプラグインが開発されたことを知ったから、というのが本当のところだ。
 具体的に僕が見たいのは、かつて旅行したアメリカの風景だ。追体験してみたいと常々思っていたから、その夢が叶いそうで、わくわくして地図を見ている。

20 Tue

 続くかどうかさっぱり判らないが、つれづれなるままに日々の思いを綴る場所を用意してみることにした。続くかどうかわからないので開始する日も本当に適当だ。
 今日久しぶりにサックスを吹いて気付いたことを忘れないように、という気持ち、知り合いの日記サイトを見て触発された、などがコーナー開設の理由である。要するにごく適当なのだ。
 せっかくなのでサックスを吹いたことを書こう。
 以前から自分の奏法が良くないことはわかっていたから、今日から正しい(と思われる)奏法で練習することにした。これがきつい。今までは喉を締め上げるような吹き方だったのだが、正しい奏法はもちろん喉を開いて吹くことだ。これ、どれくらいしたら慣れるのだろう。よく判らない。喉はもちろんだが、腹式呼吸も当然考えなおしだ。ウェブで情報を拾うと、舌の形も重要だとのこと。何でも、「舌は空気の通る滑り台である。舌の奥を上に、舌の前を下にする」らしい。やってみたらえづいてしまった。正しいのだろうが、不安は残り、気になる。

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