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Profile Of Jackie McLean

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Jackie McLean
Jackie McLean(John Lenwood McLean)
1931年3月17日生まれ
2006年3月31日死去
アメリカ合衆国NY州NY出身

 ジャッキー・マクリーンは本名John Lenwood McLean。1950年代のハードバップ全盛期から活躍し、2006年にその生涯を閉じるまで現役で活躍し続けたアルトサックス奏者です。アマチュアサックス奏者である私にとって一番のフェイバリット・ミュージシャンです。
 マクリーンは間違いなくジャズ界の巨人ですが、決して手の届かない雲の上の存在ではなく、音色やフレーズ、テクニックのどこかに私たち普通の人間と同じ庶民感をただよわせていました。ヒトによってはそれを「B級」と呼んだりもしますが、そこがたまらないプラスの魅力になっていたと思います。

 マクリーンは、パーカー、マイルス、ミンガスといった本物の天才たちに愛され、もまれ、鍛えられた若かりしころの早い時期に、自分は彼らのようにはなれない、と悟ったのではないでしょうか。その上で、それでも生真面目に、前を向いて演奏し続けたいとも感じたのではないでしょうか。「One Step Beyond」「Let Freedom Ring」など、後に生み出されたアルバムがそれを裏付けているように思います。
 生来が真面目な人だったのだろうというのは、その後の人生からもうかがえます。このバイオグラフィにあるとおり、彼は60年代後半にリタイヤして、自らが陥った麻薬治療のためのボランティアに関わったり、夫人とともに学校を作って後継者を育てたりしています。私は演奏ももちろんですが、そんな彼の生きる姿にも感銘を受けています。
 晩年までフレーズの改造を止めなかったマクリーン。プレスティッジ、ブルーノートの諸作が著名ですが、90年代以降のアルバムを聴くと、フレーズが全く変わっているのに驚くことでしょう。
 One Step Beyond。マクリーンは最期まで前を見ていたのです。

 ここではジャッキー・マクリーンの生涯を、主に参加アルバムを中心とした年表として示すとともに、様々な文献から当時の状況を紹介していきたいと思います。

ジャズ界での位置付け

 その歴史がわずか100年ほどであるジャズ界にとって、1950年代から生き残る数少ない現役黒人ジャズミュージシャンとしてその存在はすでに伝説の域に達していると言っても過言ではありません。

演奏スタイル

 ジャズの重要な発展期であるビ・バップ時代に少年時代を過ごしたマクリーンは、ビ・バップスタイルを確立したチャーリー・パーカーからの影響を受けつつ、独自のスタイルを完成させました。そのスタイルはビ・バップを基盤にモードやフリー・ジャズの影響が入ったもので、大変情熱的な演奏スタイルです。

ジャズ界への影響

 「マクリーン節」とも言われた50年代〜60年代の演奏は、現在のアルトサックスでのジャズスタイルの基本の一つと言っても過言ではないほどの影響を与えています。
 また作曲も個性的な作品が多く、「Little Melonae」「Dr.Jackle」はマイルス・ディヴィスが採りあげたこともありジャズの古典の一つとなっています。

人柄

 マイルス・デイヴィスの自叙伝によると、若い頃はかなり我が強い性格だったようですが、晩年のインタビューでは気むずかしいそぶりはみせず、社交的で陽気な性格をかいま見せていました。

ルックス

 写真の通りどう見ても白人に見えるマクリーンですが、彼は黒人ミュージシャンです。チャールズ・ミンガス同様に薄い血が混じっているのでしょう。やや厚い唇がそれを伺わせます。彼が過去に人種的な主張をしたことはほとんどありませんが、数少ない例として「Antiquity」があげられます。ここではアフリカン・アメリカンのルーツとしての奴隷制を題材に演奏しています。興味のある方はどうぞ。

Left Alone

 マクリーンの日本での人気を不動のものにしたのがマル・ウォルドロンのアルバム「Left Alone」での演奏です。現在でも日本公演では必ず演奏する位の人気ですが、常に音楽的に前進したいと考えるであろうジャズマンにとって、過去の演奏ばかり賞賛されるのは複雑な気分でしょう。

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