BLUESNIK
The Connectionマクリーンのキャリアを考える上で、50年代後半から60年代初頭にかけての「The Connection」への出演は欠かせない要素です。ここではいくつかの資料から、「The Connection」とはどんなものだったのかをまとめてみました。 まとめるにあたっては、「The Music From"The Connection"」ライナーノーツ、「Jazz批評93ジャッキー・マクリーン大全集」から引用しています。 演劇のあらまし
"Connection"とは麻薬売人の隠語のこと。「The Connection」は麻薬中毒患者を扱った舞台劇です。劇中劇が挿入されていたり、俳優が客席でも演技したりと風変わりなものだったようです。 初演は1959年7月15日。場所はNew YorkのLiving Theatre。かなり好評だったようで、のちにはTina Brooks、Dexter Gordon、Archie Shepp、Walter Davis Jr.、Cecil Peine、Cecil Taylorといったミュージシャンも出演したようです。果てはTony Williams(未成年なのにいいのか?)も出演したそうですので、少なくとも1963年までは上演されていたようです。1961年には欧州公演もされました。この際、Freddie Redd本人は麻薬のために参加できず、Kenny DrewやDuke Joradnがトラを勤めたようです。 あらすじ僕は実際の劇も映画も見ていませんが、ストーリーは大体このようになっているようです。 ヘロイン中毒者の白人と黒人のジャンキー達がヘロインを運んでくる売人を待っている。その様子をドキュメンタリーとして捉えたい人々(劇作家、プロデューサー、カメラマン)も部屋の中にいて、カメラをまわしている。芸術作品を撮影したい監督に対し、ジャンキー達は麻薬が切れているため苛つき、邪魔ばかりする。 キャスト主役は4人。( )は初演を演じた俳優です。
これに何人かの脇役が加わります。
劇中劇は主人公たちを対象に、アヴァンギャルドのドキュメンタリー映画を撮影しているという設定です。
批評ロングランされただけあり、前衛劇としてなかなかの評価を得ているようです。 「台詞は陳腐だし、方法もビランデルロとベケットの借り物だった。しかし、そこにはまったくの現実が幾分なりとも含まれており、そのためニューヨークの芝居人口の幾分かを驚かせ、好奇心をそそった。」(A・B・スペルマン) 「登場人物がみな、いかにもその辺にいそうな人間ばかりであることが、<The Connection>の持つ説得力を高めている。もっとも、これほど奇妙な状況はそうざらにはないだろうが」(<Not Everyone Is In The Fir>by Lionel Abel,Partisan Review,Winter 1960) 「様々な苦悩、均衡状態、常に存在する危機感などを支えながら、あるいはそれらに反発しながら、何ともスリリングな躍動感を生み出している。」(Jerry Tallmer,The Village Voice) マクリーンの感想好評だった内容とはうらはらに、ミュージシャンサイドの立場からいかにも肩に力の入っていない感想を残しています。 「舞台の人物になることは、いままでしてきた仕事とは違ったタイプのものだったからで、映画に出るのも楽しかった。私は特定の人物を演じないでもよく、ただ私自身として − ミュージシャンとして − そこにいればよかったのだ。」 「ミュージシャンはほとんど、麻薬を使っていないものでも患者をまねることができたのだ。」 「芝居が伝えようとしたメッセージに関しては、私はまったくわからない。私が好きだったことの一つは、毎晩、必ずしも同じ芝居ではなかったことだ。ある晩は、ピアニストのウォルター・デイヴィスが出演した。すると売人を待っている人々が売人の代わりに、ウォルターの家で彼の弾くピアノを聴くために集まった人々のようになってしまったのだった。ときには、ミュージシャンの演奏が中心になることもあったし、また俳優も参加できる芝居になった夜もあった。芝居を打ち止めにした頃は、筋書きが元々どうだったか、私たちは忘れてしまった。だが、始めの頃よりはいいものになっていたと思う。」 あくまでもマクリーンはミュージシャンなのですね。 アルバム・映像2つのアルバムと1つの映画が残されています。映画には日本版はありません。僕は残念ながら持ってません。動く、若い(笑)マクリーンを是非見たいのですが。
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